両眼立体視


1.網膜視差と肌理要因の相互作用
 計算機科学と精神物理学の領域では,網膜視差,肌理あるいはパースペクティブ,運動要因,陰影要因からどのようにして立体が知覚あるいは復元されるかについて研究が行われてきたが,その前提には,これらの要因はいずれもひとつのモジュラー内で単独に処理されると仮定されていた.しかし,それぞれの要因からの形状復元を考えるとき,複数のモジュラー間の相互作用と統合過程が重要であることが指摘されている.Buckley & Frisby(5)は,網膜視差と肌理要因が軽度に知覚闘争的にある事態を設定し,それが視かけの奥行出現に与える影響を通して,両要因の相互作用と統合過程の分析を試みた.図13(a)(b)(c)のステレオグラムでは,y軸に平行な円柱状凸面が,(d)(e)(f)では,x軸に平行な同形凸面が出現する.そして,(a)(d)では網膜視差の示す奥行深度が大きいのに肌理要因の示すそれは浅くなるように,また,(c)(f)ではそれらの関係が逆転するように,(b)(e)では両要因の示す奥行深度は一致するように,各々操作してある.各ステレオグラムの視かけの奥行深度を測定したところ,(1)x軸方向に凸面が出現する場合には,網膜視差が優勢となる,(2)y軸方向に凸面が出現する場合には,肌理要因は奥行深度の浅い条件(3-6cm)で優勢となるが,深い条件(9cm)では優勢とはならない,(3)実物モデルを使用した場合(円柱形の表面に肌理要因を表示したもの)には,網膜視差が優勢となるなどの結果が得られた.複数の奥行手がかりから形状を復元する統合過程で,空間異方性が存在すること,また実物モデルとステレオグラム条件とで網膜視差と肌理要因の働きが異なるのは,眼球調節要因が関与していることなどがこれらの結果から示唆される.

図13


2.色情報のみによるRDS立体視は可能か
 両眼立体視には,3種類の視覚情報処理経路(大細胞チャンネル,小細胞チャンネル,ブロッブチャンネル)のうち,大細胞チャンネルのみが関与している(Livingstone & Hubel 1987,1990).事実,カラーコントラスト要因(color contーrast)のみで作成されたRDSでは両眼立体視が成立しないことは,大細胞層には色対立型の受容野が存在しないことと一致する.これに対して,ステレオグラムの対応領域の輝度を反転させ,このとき併せて対応領域にカラーコントラスト要因を追加すると,両眼立体視成立までの時間が長くかかるものの成立する(Juleーsz 1971).等輝度でもフィギュラル・ステレオグラムでは両眼立体視が成立することは確からしい(Comerford 1974,Gregory 1979,de Weert 1979,de Weert & S-adza 1983).しかし,等輝度RDSの場合には,両眼立体視が成立しない結果が得られたもの(Lu & Fender 1972,Gregory 1979,de Weert 1979)と成立する結果が得られたもの(de Weert & Sadza 1983, Grinberg 6 Williams 1985)とが報告されていて,不明である.そこで,カラーコントラスト要因で構成されたRDS両眼立体視の可能性が,Juleszタイプの輝度反転RDSを修正したステレオグラムで検討された(Stuart,Edwards & Cook(33)).ここでは,Juleszのようにステレオグラムの対応領域すべてのドットの輝度を反転させるのではなく,その1部の領域内のドットの輝度もしくは色要素,あるいはその両方をノイズレベルを操作して反転させた(ノイズレベルは反転させるドット数で操作され,ノイズレベル50%は対応の存在しないステレオグラムを,ノイズレベル100%はコントラスト反転ステレオグラムを指す).もし,両眼立体視で色要素が手がかりとして利用されていなければ,両眼立体視が成立するまでに要する時間は,色要素の反転の如何あるいは程度に関係なく,輝度要因のノイズレベルで規定されると予想される.実験の結果,6人の被験者のうち,3人は色要素が対応し輝度要素が対応しないときにのみ,3分以内に両眼立体視が成立,残りの3人は輝度要因が完全に反転した条件で両眼立体視が成立した.輝度要素と色要素のコントラストが信号対ノイズ比を変えることによってモザイク状に散在する条件では,色要素は輝度要素と同等の役割をRDS両眼立体視で果たしている.


3.色彩立体視(chromostereopsis)
 色彩立体視とは,等観察距離にある色の異なる対象が奥行的に相違して視えることをいう.たとえば,黒い背景のもとにある赤い対象は,青い対象よりも,それらが等観察距離におかれているにも関わらず,観察者に対して手前に視え,また白い背景下にそれらをおくと視えの奥行関係が逆転する.色彩両眼立体視は,両眼間に生じるレンズによる色収差で説明される.すなわち,色の異なるものを注視すると,レンズの色収差によって各網膜像に2重像視が生じ,この左右眼での2重像の何らかの差が網膜視差となり,立体視が出現するというわけである.この色収差説は瞳孔の大きさが小さいときには妥当するが,対象の明るさを暗くしたり人工瞳孔を使うなりして瞳孔の大きさを大きくするときには,色立体視の出現程度が減少し,うまくあてはまらない.これを説明するための修正仮説が3種類提起された.その1は,瞳孔の大きさが変わることによって2つの対象からの各々の入射角が変わるためとするもの,その2は,瞳孔が大きいと,色収差が大きくなり,結果として2重像が広がり,色立体視が損なわれるとするもの,その3は,色収差による2重像がStiles-Crawford効果によって修正されるためとするものである.Stiles-Crawford効果とは,瞳孔の周辺から入射する光は,その中心から入射する光に較べて色がずれて視える現象をいう.瞳孔と色収差との関係は図14に示されている.Ye et al.(36)は,これらの仮説のいずれが正しいかを検証するために,色収差による2重像が瞳孔の大きさ変化に伴なって変わるか,あるいは大小の人工瞳孔を正確に同一位置に設定し,色収差を完全に統制した状態で色立体視はどのようになるか,さらには暗所視と明所視条件を設定し,Stiles-Crawford効果の有る条件と無い条件で色立体視の出現は変わるか否かについて各々しらべた.実験の結果,瞳孔の大きさが変わると,色収差が減少し,その結果として色立体視が減少すること,また入射角をこめかみまたは鼻側にずらした条件で明所視から暗所視に移行させると,色立体視の程度は瞳孔が小さいときには変化しないが,瞳孔が大きいときには減少することが示された.結局,色立体視は,各眼の色収差の生起の程度で規定され,色収差は瞳孔の大きさ,対象の入射角,および対象の明るさで変化する.  色立体視は,背景の輝度が変わると色対象の奥行の出現順序が逆転する.例えば,黒い背景下では比較的色波長の長いもの(赤,黄色など)が観察者からみて手前に,色波長の短いもの(青,紫)は遠くにそれぞれ出現するが,白い背景下に変えると,この奥行出現順序が反対となる.Dengler & Nitschke(7)は,この奥行順序反転現象を説明するために,背景と対象との間の縁(border)に着目し,白色光が色対象との境目で光学的に2種類の効果を出現させるためと考えた.その2種類の効果とは,光の回析によって出現する縞とホワイテイングアウト(白色光が他の単色波長と混じるとき,白色になるまで彩度が減少すること)で,これらによって水平視差が変わる(図15).  Ye et al.の研究と併せ考えると,色立体視の奥行順序を規定する要因は,瞳孔の大きさ,対象の入射角,対象と背景の明るさ関係で規定されている.

図14 図15


4.ステレオスコピィクな傾斜面の角度を規定する要因
 平面が水平軸あるいは垂直軸を中心として傾いているときの両眼視差(方向視差 orientation disparity)は,傾斜軸(水平/垂直),平面にある輪郭線の方向角,平面の傾斜角度で,理論的には規定される.平面傾斜角30度のときの方向視差と表面輪郭線の方向角の関係は,図16で示される.図より,表面輪郭線の方向角が水平(図では90度の時)の時には,水平,垂直いずれの軸を中心として傾いても方向視差は零であるが,表面輪郭線の方向角が垂直の時には垂直軸を中心とした傾むきでは方向視差は零となり,また水平軸中心に傾いたときにはそれは最大となることがわかる.また,方向視差が最大となるのは,表面輪郭線が垂直で同時に水平軸中心に傾いているときで,これは表面輪郭線の方向角が45あるいは135度で垂直軸中心に傾いているときの2倍となる.  奥行方向での傾斜角は,このように,幾何学的には方向視差で規定されるが,視かけの奥行を測定してみると,パースペクティブ要因や空間異方性が影響して方向視差だけでは規定できない.Gillam & Ryan(11)は,表面輪郭を水平線(Hor-izontal line),垂直線(Vertical line),斜線(Diagonal line),正方形格子(H/V grid),斜め格子(Diagonal grid),方形と斜め格子の合成(H/V/D grid),ランダム・ドット(random dot)で構成し,平面の傾斜角を15度と30度にとったとき(幾何学的に計算された傾斜角)の視かけの傾斜角を測定した.図17に示されたように,視かけの傾斜角は方向視差では規定できなく,表面輪郭の形態的要因が重要な働きをしている.

図16 図17


5.垂直視差におけるパースペクティブ成分の左右差
 対象を両眼で注視するとき,左右網膜上には水平視差と垂直視差が生じる.垂直視差は,図18-aに示されたように,左右の網膜像間にパースペクティブの左右差が生じる.いま,比較的近い観察距離にある市松パターン対象を注視すると,左網膜像の左側縦線分と右網膜像の右側縦線分間には大きさの違いが生じ(垂直方向の大きさ比,vertical size ratio VSR),それらは各々右側に移るにしたがって,大きさ変化に勾配ができる.これは,パースペクティブ成分の左右差を示し,とくに縦方向について生じているので,パースペクティブ成分の垂直方向の左右差(differential vertical perspective,DVP)と呼ばれる.同様なパースペクティブ成分の変化は水平方向についても生起するので,これはパースペクティブ成分の水平方向の左右差(differential horizontal perspective,DHP)と呼ばれる.これらの左右差は,しかしながら,観察距離が遠方になると(理論的には無限大),近似してきて,実質的には意味を失う.図18のcとdには,このパースペクティブ成分の左右差の勾配変化が,網膜の中心からの距離に応じてどのように変化するかが示されている.cはパースペクティブ成分の垂直方向の左右差を,dには水平方向の左右差を,それぞれ示す.IODは眼球間距離で6.5cmに設定された.Rogers & Bradshaw(24)は,パースペクティブ成分の左右差が相対的奥行距離の知覚に何らかの役割を果たしているかについて,DVPとDHPを単独に提示した条件,それらを組み合わせた条件,さらには観察距離を近距離(28cm)にとった場合と無限大にとった場合とを設定して,各々の条件下での相対的奥行距離の測定を試みた.その結果,DVPは両眼立体視の相対的距離の知覚に影響を与えること,DHPも,同様に若干の影響を与えることが示された.垂直視差におけるパースペクティブ成分の左右差は,網膜の中心からの距離と絶対的奥行距離に対応して変化するので,視覚システムは,観察距離が比較的近い場合には,この左右差を水平視差の見積りに利用している.

図18


6.網膜視差を用いての立体視再現の正確度
両眼立体視のしくみを用いて3次元表示する場合,どの程度正確に立体量が再現できるのかは,それを医療,工業,産業,運輸などに利用しようとするとき,錯覚や誤判断による事故をさけるために,確認されていなければならない.両眼視差による立体量(2つの対象間の奥行あるいは凝視点と対象間の奥行:相対的奥行距離 d)は,次の式で規定できる.  交差視差の場合, d=S × D/(I+S)  非交差視差の場合,d=S × D/(I−S) ここで,Sは網膜視差(ステレオグラムの対となる対象間距離),Dは観察距離(観察者から凝視点までの距離:絶対的奥行距離),Iは眼球間距離を各々示す.  Patterson,Moe & Hewitt(22)は,ダイナミック・ランダム・ドット・ステレオグラムを用いて,矩形を提示し,凝視点と矩形間の奥行を言語報告とプローブをもちいてのマッチィングとによって測定した.その結果,Dを75cmと150cm,Sを0.3,0.7deg,Iを6cmとした交差,非交差視差条件では,公式での予測値と言語報告および測定値はともによく一致したが,D(150cm)とS(0.7deg)を大きく,同時に刺激サイズを小さくし(1.0deg)た場合の非交差視差条件では,実験値は予測値を下回ることが示された.しかし,刺激サイズを大きくとり(5.5deg),同時に刺激提示時間を長くすると,非交差視差条件でも実験値と予測値は一致を示した.このことから,両眼立体視による立体表示では,刺激サイズをある程度大きくとらないと(5.5deg),立体量は正確には再現されない. コンピュータ・グラフィックスでの3次元表示に,両眼立体視のしくみが利用されるにともない,それについての正確な知識が求められている.人間の両眼立体視について,これまで明らかにされた知見が,Patterson & Martin(21)によって,(1)両眼立体視の幾何学,(2)視覚的持続(visual persistence),(3)立体視提示された刺激間の時間的,空間的な知覚相互作用,(4)立体視の神経生理学,(5)立体視の理論に絞ってまとめられている.