おわりに

  立体や奥行を知るための手がかり(cue)は、観察者側と刺激側の両方で複数個存在し、視覚システムはそれらを統合して視覚世界を認識している。しかし、視覚心理実験では、条件を統制する必要から、それらの手がかりを可能な限り制限し、単独での立体効果を分析するのを常道とする。ここに、複数の手がかりが存在する事態での手がかり統合過程の問題が生じる。この問題は、視覚システムを解明する上にも、またこれら奥行手がかりをVR(virtual reality)やCAD(computer-aided design)に応用し、リアリティの高い3次元空間を表現するためにも必要となる。  
  奥行手がかり統合モデルには、弱い統合モデルと強い統合モデルとが提唱されている。弱い統合モデルでは、それぞれの手がかりはそれ固有のモジュールで別々に処理された後に結合法則にもとづいて統合される。結合法則は、単純加算あるいは重みづけ加算とし、手がかり間の相互作用は想定しない。一方、強い統合モデルでは、それぞれの手がかりが協調的に処理されてひとつの奥行を算定する。ここでは、手がかりは非線形の相互作用をしていると仮定される。Young,Landy & Maloney(36)の運動要因と肌理要因とを操作した研究は、視かけの奥行が2つの手がかりの重みづけ加算的総和と一致したことから弱い統合モデルを支持する。  
  これに対して、Tittle & Braunstein(31)の研究によれば、それぞれの手がかりには守備範囲のようなものがあり、単独では立体や奥行を表現できず曖昧な部分が残る。たとえば、網膜像視差は奥行位置関係は正確に支持するが、立体形状は曖昧な部分が残る。一方、運動視差は形状は正確に表現されるが、奥行位置関係は曖昧となる。視覚システムはこれらの手がかりを相互に補完しあうことによって3次元を再現する。網膜像視差とKD(kinetic depth)を組み合わせると、それぞれが単独で提示されたときよりは正確に立体形状と奥行が知覚されることから、奥行手がかりは協調的関係にあり、ここでは強い統合モデルが支持される。奥行手がかりについての2つのモデルの検証はこれからの課題であろう。  
  近年、両眼立体視(網膜像視差)と単眼運動立体視(運動視差)とは、同一の神経生理過程で処理されていることを示す精神物理学的そして神経生理学的データが多くなってきている。プライミング・パラダイムを用いてのNawrot & Blake(23)の研究によれば、網膜像視差にもとづく先行刺激は運動視差にもとづくテスト刺激の視えにプライミング効果をもち、またその逆も成立することが示され、これら2つの立体視過程が同一の神経ユニットで処理されている可能性が示唆された。網膜像視差と運動視差とは、3次元立体や空間を再現する2つの主要な要因であり、もしこれらが同一の神経生理過程で処理されているのであれば、立体や奥行視の起源は運動視差にあるとも考えられるので興味深い。  
  絵画的要因の立体効果については、あいかわらず、研究が少ないが、陰影、テクスチュア、パースペクティブなどの要因は、VRやCADでの3次元表現に必要なものであり、その奥行手がかり効果を定量的に確定するとともに、これらの手がかりが3次元の再現に効果を持つことは確認されているので他の手がかりと組み合わされた事態でどのように作用するかがこれからの検討課題となる。これに関しては、Cumming,Johnston & Parker(8)が、テクスチュアについて詳細な分析を試み、テクスチュアから立体形状を知覚するのに主要な要素が形態圧縮率(テクスチュアを構成する要素パターンの縦/横比率)であることを指摘したが、これは3次元表現を考える上で重要であろう。  
  心理学における3次元視研究の領域では、これからVR技術が導入されるので、視覚過程の研究とともに、VR技術への応用的側面の研究も進展すると期待される。