5.おわりに

 本年の研究動向の特徴は、3次元視のための手がかり(cue)の統合が目指されていることであろう。これまでは、網膜像視差、運動視差、絵画的要因がそれぞれ単独で分析されてきた。しかし、人間は、日常行動のなかでは、これらの奥行手がかりを統合して三次元視覚世界を知覚する。奥行手がかりの統合についての理論モデルには、(1)分散モジュール・線形加重型と(2)非分散モジュール・非線形加重型が提唱されている。分散・線形加重型理論では、各々の奥行手がかりがモジュールとして独立し、最終的な奥行値は、それらの個々の奥行値の線形加重で決められる。非分散モジュール・非線形加重型モデルでは、最終的な奥行値は、各々の奥行手がかりを担うモジュール間の相互作用を経てから、非線形の加重で結合されて決まる。それぞれに、理論的長所と短所がある。分散モジュール・線形加重型モデルの問題点としては、各々の奥行値の単位をそろえなければならないこと(たとえば、運動視差の示す奥行値と陰影の示す奥行値とでは値そのものが大きく相違する)、およびどの手がかりがその事態では主となっているか、その重みづけをしなければならない点である。非分散モジュール・非線形加重型モデルでは、モジュール間の相互作用および各モジュールの出力を結合する規則を決めることが困難である。  
 Landy et al.(13)らの提唱した研究は、修正分散モジュール・線形加重モデルでは、各々のモジュールの間で相互にやりとりを認め、その後に、各モジュールは重みづけをした奥行値(depth)を算定し、同時にその奥行値の信頼性について、補足的手がかりにもとづいて信頼値を出力する点に特徴がある。補足的手がかりとは、奥行を直接的に表すものではないが、しかし個々のモジュールからの奥行値の重みづけを決めるもので、たとえば、観察しているシーンがかわれば、奥行値のための個々のモジュールの重みも変えなければならないので、シーンの変化は補足的手がかりとなる。この方法によれば、各々の手がかりモジュールの重みづけが精神物理的に特定可能となる。  
 Jonston,Cumming & Landy(6)も、3次元視のための強力な手がかりである運動視差と網膜像視差の両要因を独立にあるいは組み合わせて提示し、その結果として3次元対象の知覚がどのように変容するかを測定し、(1)運動視差と網膜視差が共に働いている条件では、一方の要因が例え歪んだ奥行情報を担っていても、修正されて知覚されること、(2)両要因が指示する立体性を知覚的抗争状態に操作すると、両要因が示す奥行効果が互いに等分に相殺されるときに、対象の立体性が正しく知覚されること、(3)運動視差要因を減弱すると(運動を2フレームに限定)、網膜視差要因の手がかりとしての重みづけが大きくなること、などを得たことから、修正分散モジュール・線形加重モデルを支持した。  
 一方、分散モジュール・線形加重モデルには、いくつか疑問が出されている。Curran & Johnston(3)は、陰影要因とテクスチュア要因を用いて湾曲面をランダム・ドットで提示し、両要因が湾曲の度合いで一致した条件および不一致の条件を設定し、視かけの湾曲の程度を一対比較で判定させ、得られた実験値を線形加重モデルにあてはめ、陰影要因とテクスチュア要因の重みづけを計算したところ、陰影要因に割り当てられた重みは、それが指示する湾曲度の増大に伴って大きくならないが、テクスチュア要因の重みは、テクスチュア要因の指示する湾曲度が増大すると大きくなり、また陰影要因が指示する湾曲度が高まると小さくなることが計確認されたことから、線形加重モデルを否定している。  
 このように、修正分散モジュール・線形加重モデルは奥行手がかりの統合の理論的中心となり、さまざまに検証されていくことになろう。とくに、人工現実空間の提示に当たっては、網膜像視差、運動視差、テクスチュア、パースペクティブ、陰影など絵画的要因などの手がかりを統合する必要があり、そのためにも、この方向での研究が待たれる。