5.絵画的要因による3次元視

5.1. テクスチュアと運動視差要因の最適な手がかり統合
 人間の視覚システムは、複数の手がかりを統合して奥行知覚を成立させている。Jakobs(15)は、複数の手がかりを統合して対象の奥行知覚を得るとき、常に、それがその知覚的文脈に照らして最適であることに注目した。そして、この手がかり統合の最適性を、ベイズの確率定理で記述できるのではないかと考えた。もし、2つの手がかりであるテクスチュアと運動視差とが利用できる場合を想定し、これにベイズの定理をあてはめると、P(d|m,t)の確率を次式のように最大にすれば良いことになる。
P(d|m,t)最大化P(m,t|d)P(d)
ここで、m:運動視差、t:テクスチュア
もし、P(d),P(m),P(t)の生起確率が等価であれば、次式が成立する。
P(d|m,t)最大化P(m|d)P(t|d)
これを検証するために、ランダム・ドットで構成されたシリンダー(円筒)を、テクスチュア要因のみで提示、運動視差要因のみで提示、あるいは両要因を複合して提示し、その深さのマッチングを求め、そのデータを解析を試みた。その結果、ベイズの確率定理から予測する奥行と被験者の奥行とは良く適合することが示された。

5.2.  観察者の経験方略にもとづく複数の手がかりの統合
 運動視差と両眼視差とがともに有効なとき、運動視差の手がかりを2フレームに限定して弱化すれば、観察者は両眼視差に強く依存した形状知覚をすることが知られている(Johnston et al 1994)。同様にテクスチュア要因と運動視差要因のいずれかひとつがノイズで妨害されると、観察者は非妨害要因の手がかりに強く依存した奥行知覚をする(Young, et al 1993)。
 Jakobs & Fine(16)は、観察者がどのようにして奥行手がかりの統合方略をもつようになるかを検討し、経験による学習説を考えた。それによれば、人間の視覚システムは、奥行手がかりの統合に際して学習可能性が高く、知覚的文脈のなかでもっとも蓋然性の高い手がかりに依存することを修得すると仮定する。検証実験のために、図14に示されたようなシリンダー(円筒形)をテクスチュアと運動視差で提示し、どちらかの要因がシリンダーの有効な形状情報を、他の要因は無関係な形状情報を与えるように設定した。実験は学習過程とテスト過程からなり、テスト過程ではどちらの手がかりに依存した知覚が生じるかが試された。実験結果は学習過程との整合を示し、したがって被験者の奥行統合方略は学習による経験に依存して決定されることが示された。

5.3. 奥行距離、形状、大きさの処理過程の独立性
 対象の網膜像の大きさと知覚された大きさとの関係は、視えの奥行距離と一致していないこと(Gogel 1990)、また知覚された運動と対象の視かけの位置の変化との関係も一致していないこと(Brenner et al 1996)が明らかにされ、これらのことから、それぞれの処理過程は独立的であると考えられている。そこで、もし奥行距離、対象の形状と大きさが網膜像内と網膜像外の手がかりにもとづいてそれぞれ独立に処理されているならば、ひとつの処理過程での誤りは他の過程の誤りに結びつかないと予測される。Brenner, et al (6)は、奥行距離、形状、大きさ知覚に付加情報(手がかり)が他の処理過程にどのように影響するかを分析する方法でこの予測の検証を試みた。実験では、被験者はランダム・ドット・ステレオグラムで提示された楕円球をテニスボールになるように形状と大きさを調整し、その後で実際のテニスボールをシミュレートしたテニスボールのある位置に置いた。このとき、形状と奥行距離についての手がかりを操作し、それがそれぞれの知覚判断に与える影響(誤り)が分析された。その結果、奥行距離についての付加情報は、対象の形状、大きさ、奥行距離の知覚判断に影響すること、しかし形状についての付加情報は形状知覚に影響するものの、大きさと奥行距離知覚には影響しないことが示された。このことから、対象の形状、大きさ、奥行距離の処理過程は独立性をもち、総合的知覚判断の一貫性を求めないことが確認されるとともに、さらに形状や大きさの知覚判断過程に比較して、奥行距離の知覚判断過程はすべての知覚判断に共通の特性をもつことも示唆されている。

5.4. テクスチャ勾配要因の奥行効果
 室内や屋外の空間を3次元的に視えるように構成する場合、床面や天井面にテクスチュア勾配を導入すると、奥行効果が増強される。テクスチュア勾配にも、図15に示されたように、遠方に行くに従って収斂するテクスチュア勾配、水平線分間のみによるテクスチュア勾配、格子状のテクスチュア勾配、そして木目状のテクスチュア勾配などいくつかのパターンがある(Andersen et al (1))。これら4種類のテクスチュア勾配のいずれがもっとも奥行効果を示すかが検討された。室内空間の奥行は、4種類のテクスチュア勾配ごとに、別に用意したスケールで再生させる方法で測定した。その結果、水平線分間のみによるテクスチュア勾配が、もっとも奥行効果が高いことが示された

5.5. 錯視と恒常性尺度(constancy scaling)
 図16-(A)では、階段の各段上にツェルナー錯視が描かれている。ツェルナー錯視は、周知のように、長い方の平行線分が短い斜線分の影響を受けて輻輳/開散して視える錯視であるが、図16-(B)のように階段の段上に描くと、階段の凸面に描かれた場合には錯視が生起するのに対して、凹面に描かれた場合には錯視が抑制される(Phillips(22))。この現象は、シュレーダーの階段にみられるように、奥行反転が生起し、階段の凹凸が反転すると、錯視結果も逆転する。この結果は、ツェルナー錯視の潜在的な3次元性を保持するが、しかし階段の凹面での錯視の抑制はGregoryの錯視の遠近性理論と抗争し、恒常性尺度の適用の他に錯視パターンに固有な刺激特性処理とくに方向に関するパターン処理が関与することを示唆する。