5.奥行距離の知覚

5.1. 月の錯視
 月の錯視を説明する仮説として、大きさ尺度仮説(size-scaling)と大きさ対比仮説(relative-size)とがある。大きさ尺度仮説によれば(Kaufman & Rock 1962a, 1962b, Kaufman & Kaufman 2000)、水平方向の奥行距離は、垂直方向よりも多くの対象が散在しているために奥行手がかりが多く、そのために垂直方向の距離より長く見積もられ、そして網膜に投影された対象の大きさが等しい場合には、大きさー距離不変尺度が適用され、奥行距離が長い水平方向の月は過大視されると説明する。一方、大きさ対比仮説によれば(Restle 1970)、対象の大きさはそれが置かれた周囲の対象の大きさとの対比(コントラスト)に依存し、大きさ対比が大きいと対象は過大視されると考えられるため、水平方向にある月の場合にはテクスチャ勾配によって縮小されて網膜に投影された周囲の対象と月との大きさ対比が大きくなり、その結果、月の大きさが過大視されると説明する。 
 Redding(25)は、図18に示した2次元画像を作成し、水平方向と垂直方向に描いた月の視かけの大きさを測定した。実験に使用した2次元画像では、その地上面を示すテクスチャが正常方向で描いたものと、その上下方向を逆さまにしたものとが用いられた。大きさ尺度仮説によれば、テクスチャ正常方向条件での奥行距離は遠くに知覚され、一方、テクスチャ逆転条件でのそれは短く知覚されるので、テクスチャ正常方向条件での水平方向での月の大きさは垂直方向のそれより大きく、逆にテクスチャ逆転条件での月の大きさは垂直方向のそれより小さく知覚されると予測される。また、大きさ対比仮説によれば、テクスチャ正常方向条件での月の大きさは、地上面を表すテクスチャの奥行距離に伴う勾配効果で大きさ対比が高くなり、垂直方向の月よりも過大視されるが、一方、テクスチャ逆転条件では、奥行距離に伴う勾配効果も逆転するので、水平方向と垂直方向の月の視かけの大きさには差が生じないと予測される。2次元画面を用い、テクスチャ正常方向とテクスチャ逆転の両条件で月の視かけの大きさを測定した結果、テクスチャ正常方向条件では視かけの大きさの過大視が生起したが、テクスチャ逆転方向条件では視かけの月の大きさは過小視されることが示された。この結果は大きさ尺度仮説を支持する。

5.2. 網膜像以外の要因による対象までの絶対奥行距離の知覚的算定
 対象までの絶対奥行距離の知覚は、眼球調節要因、両眼輻輳要因の他に、(1)垂直視差(Rogers & Bradshaw 1993)、(2)シーン内に視えているグランド面あるいは水平線情報(Sedgwick 1986)、(3)観察者の運動に連動したオプティック・フロー、である。Panerai et al. (21)は、ランダムドットで構成された球を観察者の頭部運動と連動して提示した。提示した球の大きさと奥行距離は網膜像の大きさが常に一定となるように変化させることによって相対的大きさ手がかりを除去してあるので、対象までの奥行距離のための手がかりは、運動視差と頭部運動から生じる網膜像以外の要因に限定された。
 実験の結果、(1)観察者はシミュレートした奥行距離を正確に知覚できること、(2)知覚された奥行距離は、対象の下方に地上面(床面)を付加することによって若干増大すること、(3)観察者の自己運動によらない場合(対象事態が運動する事態)には、正確な奥行距離知覚がなされないこと、などが見いだされた。これらの結果から、対象までの絶対奥行距離の知覚的算定には、対象の網膜像から得られる要因と観察者の運動に随伴する網膜像以外の要因とが関与し、とくに網膜像以外の要因としては前庭感覚と首の自己受容的感覚の役割が示唆されている。

5.3. 観察者の頭部運動要因と視えの絶対奥行距離

 絶対奥行距離知覚に及ぼす観察者の頭部運動要因(網膜像以外の手がかり)が、Peh, et al. (22)によって分析された。対象はドットで構成された球で、観察者が頭部を運動させながら観察すると立体的に視える。対象までの観察距離は、球の大きさを変化させることのよって操作した。観察者の頭部運動は、対象に対して視線方向で前後に反復させ、頭部運動に連動して対象の動きも変化させた(頭部運動条件)。また、これの対照条件として、頭部運動によらないで対象の動きが変化する条件(対象運動条件)も設定された。視えの絶対奥行距離は口答での報告によった。
 その結果、(1)頭部運動と対象運動の両条件とも、頭部運動の大きさを固定した場合には、視えの絶対奥行距離は正確に見積もられること、(2)しかし、頭部運動の大きさが試行ごとに変動させる場合には、対象運動条件での視えの絶対奥行距離の見積もりは悪くなること、(3)頭部運動の方向に関しては、対象に対して前後方向の運動の方が、左右方向のそれよりも効果的であること、などが見いだされた。これらの結果から、頭部運動から発せられる自己受容的感覚情報は、絶対奥行距離の見積もりに有効である。

5.4. ディスプレーに提示された対象の高さについての過大視
 Yang et al. (1999)によれば、水平―垂直錯視は、2次元事態で提示されるよりも3次元環境のなかに提示された方が大きく出現するという。しかし、2次元条件より3次元条件の方が、一般的には刺激が大きく表現されるので、この結果からは、2次元性対3次元性が結果に影響したのか、あるいは刺激の大小が関係したのかは不分明である。そこで、Dixon & Proffitt(13)は、2次元の大スクリーン条件(映画のスクリーンの大きさ)、3次元の小さなディスプレー条件(ディスクトップ・ディスプレーの大きさ)、3次元の大きなディスプレー条件(バーチャル・フィールドの大きさ)を設定し、そこに水平―垂直刺激を提示し、過大視の出現程度を測定した。すべての条件は、ヘッド・マウント・ディスプレーを通してバーチャル・リアリティの方法で提示された。2次元の大スクリーン条件では、あたかも映画のスクリーンを見ているように、3次元の小さなディスプレー条件では、あたかもディスクトップ・ディスプレーをみているように、3次元の大きなディスプレー条件では、スクリーンあるいはディスプレーの枠組みが無く、直接シーンをみているように、それぞれバーチャルでシーンが構成された。実験の結果、垂直成分の過大視は、2次元の大スクリーン条件と3次元の大きなディスプレー条件で大きいことが示され、このことから、垂直成分の過大視は、提示した刺激の大きさに依存し2次元性対3次元性には依存しないことが明らかにされている。