6.おわりに
 本年度報告した両眼立体視に関する研究で得られた成果をまとめて列挙すると、次のようである。(1)低域濾過条件の場合の両眼立体視の下限閾は、濾過後にそのステレオグラムに含まれる最大の高空間周波数に依存して小さくなるが、高域濾過条件のそれは、低域空間周波数に依存しては変化しないこと、一方、両眼立体視の上限閾は低域濾過条件では変化しないが、高域濾過条件では空間周波数に依存して小さくなること、さらに上限閾は出現させるイメージの大きさに依存して変化したことから、両眼立体視の下限閾と上限閾はそれぞれ異なった処理過程に担われていると考えられる。(2)あいまいな視差対応点がある場合の視差対応は、視差を構成する刺激要素の形状性(形状の文脈効果)によって決定される場合がある。(3)トランジェント型立体視ではガボールパターンのエンベロープの大きさが、ステレオペアの対応問題解決の初期過程では重要な役割を果たしていること、したがってステレオグラムのガボールパターンのエンベロープの大きさとそのガボールパターンを構成する波形に関する情報は、粗い視差から細かな視差を検出する一連の過程で、ステレオペア間の対応を解決するために共に利用され、またエンベロープの大きさから抽出された2次的情報は、細かな視差対応を見つけ出すのに有効に働いている。(4)ステレオアノマリとバージェンスアノマリが存在し、ステレオアノマリの型(交差視差不能あるいは非交差不能型)とバージェンスアノマリの型(交差視差輻輳融合不能と非交差視差輻輳融合不能)との間には関連が無く、また、両眼立体視が正常な者にもバージェンスアノマリが存在する。(5)輝度対比条件でのステレオグラムに、反対極性をもつ色相対比を加えると、立体視は妨害されること、同様に、色相対比をもつステレオグラムに反対極性を持つ輝度対比を加えると、立体視は妨害されることから、両眼視差が検出され、そして立体視が成立する前の段階で働く色相対比感受メカニズムと輝度対比感受メカニズム間に、立体視成立にとってポジティブなそしてネガティブな相互作用が存在する。(6)両眼視差と運動視差が提供する形状と奥行量は、それら両要因の加算的総和で規定される。(7)左右眼ではテクスチャ対応を持たないが、各眼では継時的対応を持つステレオキネマトグラムで両眼立体視が可能であることから、まず、各眼で運動要因に基づくエッジの検出がなされ、次いでこの検出されたエッジにもとづき左右眼で両眼視差の対応がなされて立体視が出現すると考えられる。(8)視えの方向定位は眼球位置にもとづく眼筋的手がかりと網膜上の対象の偏心度によって十分に規定されていて、垂直視差は何らの役割も果たしていない。(9)視覚システムは、ステレオグラムを構成する要素の中、視差対応部分の色相が異なるものの、等輝度に設定したステレオグラムの場合には、ステレオグラムを構成する要素の属性の違いであるところの大きさ、明るさ、色相の3要因を左右ステレオペア間の対応問題を解決するために利用できず、対応に失敗する。(10)ランダム・ドット・ステレオグラムを両眼立体視中の脳活動をfMRIで測定すると、V1領域の活動量は視差の増大に伴って高くなり、視差の上限に到達すると急激に低減,また、V3A領域でもV1と同様な反応が生じ、さらにMT+領域は観察者によっては顕著な反応が生起する。
 運動要因による立体視研究の領域で得られた知見は、次のようである。(1)運動視差にもとづく奥行視過程と対象の運動視過程は同一の過程であり、しかも運動視差による奥行視は、対象間の速度差が運動視閾より大きく、かつ対象間の速度差と頭部運動速度との比がある値以上の場合に生起し、また運動視差による奥行は、対象間の速度差が運動視閾以上でも対象間の速度差と頭部運動速度との比が一定値以下の場合、あるいは、対象間の速度差と頭部運動速度との比が一定値以上でも対象間の速度差が運動視閾以下の場合には、いずれも生起しない。(2)3次元にシミュレートされた対象の立体量は、それが置かれた奥行距離の増大によって生じる対象の網膜像の大きさ変化によって縮小されて知覚され、また速度差、速度比、そして対象の直感的な大きさ情報からヒューリスティックに復元され。(3)対象の形状など局所的奥行手がかりが大局的な奥行関係にまで手がかり効果を伝搬する。(4)オクルージョンやテスト対象の大きさなどの相対的な奥行手がかりが、絶対奥行距離の知覚的算定を修正する。
 この他に、月の錯視についての研究が、近年では珍しく報告され、大きさ尺度仮説(size-scaling)と大きさ対比仮説(relative-size)のいずれが正しいかが検討され、水平方向の奥行距離は、垂直方向よりも多くの対象が散在しているために奥行手がかりが多く、そのために垂直方向の距離より長く見積もられ、そして網膜に投影された対象の大きさが等しい場合には、大きさー距離不変尺度が適用され、奥行距離が長い水平方向の月は過大視されるとする大きさ尺度仮説が支持されている。