6.奥行手がかりの統合

6.1  左右反転眼鏡装着による3次元視過程の変容と統合
 左右反転眼鏡装着による3次元視過程の変容がしらべられた(Ichikawa, et al.(12))。左右反転眼鏡は、左右眼の網膜に投影される位置を左右で反転させるために、対象の左右の位置、運動方向、両眼視差が装着前と装着後とで反転する。志願した4名の被験者は35日もしくは39日の間、連続して反転眼鏡を装着し日常生活を送る。通常の視覚経験を避けるために、就寝時にはアイマスクをかけさせた。反転眼鏡装着期間では、ステレオグラムテスト、複数の奥行手がかり間の相互作用に関するテスト、絶対奥行距離テストが、一定の間を置いて、3〜5回、反復実施された。実験期間中のテスト結果の比較のために、眼鏡装着前後にも、同一のテストが実施された。
 被験者すべてが報告した異様な経験は、左右反転眼鏡装着後には、対象までの視かけの絶対距離が縮小され、その結果、対象に手を伸ばして取ることに困難を感じたことである。この経験は修正されずに、装着期間を通して続いたという。装着時の異様な経験は、被験者ごとに異なるが、ある者は皿や葉っぱを見ると奥行反転が起きていることを報告したが、別の者はこの種の奥行反転は限定されていて、パソコンの角を見たときにしか生じないと報告した。眼鏡装着解除後にも異様な体験をするが、とくに2名の被験者は奥行が極端に拡大誇張し、明瞭に知覚されたと報告したが、別の被験者は、逆に視えの奥行が抑制されていると訴えた。すべての被験者は、眼鏡装着解除後は、正常な視覚を取り戻している。
 3種類の実験の結果は、(1)ステレオグラムテストでは、RDSとフィギュラル条件の両方に置いて、眼鏡装着数日後には、眼鏡装着前とは反対方向の奥行出現を示し、装着期間中、それが継続すること、(2)両眼視差以外の手がかりの有効性をテストするために、両眼視差と運動視差、両眼視差と大きさ手がかりとが奥行方向指示に対して一致しない競合事態を設定して試したところ、両眼視差と運動視差が競合する事態では両眼視差が若干優位になること、しかし大きさ手がかりとの競合事態では大きさ手がかりが優位になることが示されること、(3)視かけの奥行絶対距離は過小視され、眼鏡装着期間中、それに対する修正が起きないことが、それぞれ示された。
 奥行や立体を知るための手がかり要因は、通常、複数個存在し、それらを統合して3次元視が成立する。このとき、複数の要因がどのようにして統合されるかについて、手がかりの弱い統合モデル(weak fusion model)と手がかりの強い統合モデル(strong fusion model)が考えられている(Clark & Yuille 1990)。手がかりの弱い統合モデルとは、その場面に存在するいくつかの手がかりがそれぞれ独立したモジュールで処理され、次いで、それぞれで算出された奥行が結合法則にもとづいて統合されると考えるものである。手がかりの強い統合モデルは、それぞれの手がかりからの情報が協調的に処理されてひとつの奥行を算出すると考える。左右反転眼鏡着用実験の結果は、両眼視差の処理過程が変容するばかりではなく、視えの絶対的奥行距離を規定する諸手がかりの優位順序が変化することを示し、諸手がかり間の相互作用の存在を示唆するので、強い統合モデルを支持する。