視空間認知に関する研究

3次元対象物の構造的記述と観察者中心記述
 対象物の視覚認知は、対象のイメージデータにもとづくか、あるいは何らかの方法で記述された対象についてのモデルにもとづくと考えられている。後者については、対象の入力イメージが偶然的な部分を除いて構造的に記述され形成される。たとえば、Biederman(1987)の提唱したジオン(geon)理論では、3次元対象物を構成する基本パーツであるジオンを仮定し、それの構造的な組み合わせで対象が記述できる。一方、観察者中心記述理論では、3次元対象は複数の2次元の観察イメージで記述されていると考える(Bülthoff & Edelman, 1992Tarr & Pinker,1989)。この2つの理論では、心的回転をめぐって決定的な差がある。というのも、構造的記述では視えない部分を含めて対象物を心的に回転可能となるが、観察者中心記述ではそれが不可能となる。
 Rentschler et al.(17)は、3次元対象が構造的記述にもとづき参照されて視覚的認知が成立するのか、あるいは観察者中心記述にもとづくのかを実験的に検討した。実験は視覚的認知の判断をする前の経験効果を操作するために(プライミング)、視覚学習と手指操作による触力覚学習を導入した。使用した3次元対象は、22に示したように、4個の小球で作成されたもので、4個の小球で作成されたもので、非鏡像異性体(achirality、上段に図示)をとるように3つの球がベースをつくり4つめの球がz軸状に重ねられたもの、および鏡像異性体(chirality、下段に図示)をとるように4つめの球がy軸上に重ねられたものである。鏡像異性体とは、3次元の図形や物体が、その鏡像と重ね合わすことができない性質をいうので上段の対象は鏡像が同一となり、下段のものは鏡像が同一とならない。図の上段の左対象と右対象は対象間で左右相称となるように、また下段の対象は左・右対象間で鏡映となるように、それぞれ作成されている。実験手続きは、23にあるように、「前経験(プライミング)-概念学習-般化テスト(ジェネラリゼーション)」をとる。プライミング学習では、受動的視覚経験(図22の上段の対象をディスプレーにx、y、z軸を中心として回転提示するものを自由観察)と能動的触力覚経験(図22の下段の対象を両閉眼させ両手指で自由に回転させて触る)を設定した。概念学習では、24に示した対象から3種類のグループ(グループ1は6対象、グループ2と3は8対象)を構成して提示し、90%の正答に達したら打ち切る。また般化テストでは、64種類の対象を用意し概念学習で使用しない対象も含める。
 実験の結果、受動的視覚条件での成績は概念学習および般化テストの両方において能動的触力覚条件より劣ることが示された。これは、受動的視覚条件では対象についての十分なイメージを形成するための入力情報が今回用いた対象には存在しないためと考えられる。そこで、対象を構成する小球の代わりにテクスチャをもつ立方体を用いて同様な追実験を試みたところ、受動的視覚条件での概念学習は改善することが示された。また、能動的触力覚条件での視覚認知の成績が高いのは、3次元配置に注意を集中させられるためと考えられる。
 これらの結果から、対象物の視覚認知では、対象のイメージデータと対象の構造的記述が相互に排除するものではなく、イメージデータから構造的記述へと移行して参照されるものと考えられている。


顔認知における視点の影響
 微妙な顔造作の違いで人を見分けることができる顔認知は、認知のなかでももっとも複雑な課題である。顔認知のシステムは、いわばエキスパートシステムと言っても良い。顔認知についての二重モード仮説(dual-mode hypothesis)では、顔認知障害者はものの認知を損なっていないこと、また一般的には逆さまの顔認知は極端に悪くなることから、顔認知とものの認知は別のシステムで処理され、しかも顔認知では顔の方向に特異性を持つ(Farah, et al., 1998)。さらに、顔認知は顔を形成する個々の特徴自体にもとづくのか、あるいは顔の特徴間の関係性にもとづくのか、について論争がある。後者を支持する事実として、顔の一部の要素の変形は顔認知に影響し、特に倒立顔より正立顔において大きいこと、また顔要素の変形を個々に行うのではなく、文脈をもたせると、顔認知は正立顔でとくに悪くなることがあげられる((Farah et al. 1998, Sergent 1984a,1984b, Rhodes et al. 1993, Tanaka & Farah 1993, Tanaka & Sengco 1997, Farah et al. 1995)。顔認知の場合、倒立顔を経験することはほとんどない。しかし、ものの認知の場合、視点を変えてみることは日常生活でよく起きる。一般的に視点が変化した場合の顔認知に与える負荷は、認知反応時間が長くなることおよび認知の正確度が低くなることを招く。
 顔認知のモデルシミュレーション研究によれば、顔の全体性にもとづくホーリスティックなモード(holistic mode)は視点変化がない場合の顔認知に優れているが、視点変化した場合には個々の特徴をベースとしたコンポーネントモード(component based mode)の方が優れている(Heisele, Ho, & Poggio 2001, Zhao, et al. 2003, Heisele et al., 2003, Weyrauch, et al. 2003)
 コンポーネントベースのホーリスティックモデルによれば、正立顔の場合にはホーリスティックモードで処理され、視点変化の場合にはコンポーネントモードで処理されるので、視点変化による顔認知は倒立顔条件より正立顔条件で悪くなると予測される。また、別の計算論モデルであるHMAXによれば視点変化による顔認知の精度はその経験値で決められると考え、正立顔と倒立顔というモードを設定していない(Riesenhuber et al. 2004Riesenhuber & Poggio 1999)
 Wright et al.(24)は、コンポーネントベースのホーリスティックモデル、HMAXモデル、そして独立過程モデル(顔の角度および正立・倒立顔とが独立に処理される)のいずれが妥当なモデルかを検証した。ホーリスティックモデルでは、顔認知の精度は同一面位置・正立顔条件(正面/横面から作成した顔)でもっとも高く、異なる面位置・倒立顔条件(倒立顔の正面から横面へと顔の作成角度を右/左30度を変えたものを提示)でもっとも低く、異なる面位置・正立顔条件(正立顔で正面から横面へと顔の作成角度を変えたものを提示)と同一面位置・倒立顔条件(倒立顔で正面/横面から作成したものを提示)では顔認知の精度はそれほど変わらないと予測される(25-A)HMAXモデルでは、同一正立顔と変形正立顔条件では経験値があまり変わらないので類似した精度となるが、同一倒立顔条件では悪くなり、変形倒立顔条件では大幅に悪くなると予測される(25-B)。独立過程モデルでは、同一正立顔、変形正立顔、同一倒立顔、変形倒立顔条件の順に顔認知の精度は段階的に悪くなると予測される(25-C)
 実験は、8人の女性の顔像から平均的人工顔を構成し、これに基づいて4つの変形顔をCGで作成した(26)。顔認知実験では、3つの顔画像を提示し、そのうちひとつは変形画像(0.25から0.90morphの間で11段階に変形)とした。被験者にはこれらの顔画像を1.2秒で短時間提示し、どれが相違した顔画像かを答えさせた。
 その結果、顔の変形度に伴う顔認知の精度は同一面位置・正立顔条件(正面/横面から作成した顔)でもっとも高く、次ぎに異なる面位置・正立顔条件、同一面位置・倒立顔条件、そして異なる面位置・倒立顔条件で段階的に低くなること、しかもその精度の劣化は独立過程モデルの予測したものとほぼ一致することが示された。このことから、正立顔の認知が特殊な顔認知モードで処理されていないこと、顔の正立と倒立、および顔の視点角度変化は顔認知システムで一種のノイズとみなせるので、ノイズ量に比例して顔認知精度は劣化すると考えられる。


5.3 健常児とウイリアムス症候群児の視空間の3刺激点真直テストの能力差
 ウイリアムス症候群とは、1961Williamsらによって報告された第7染色体長腕の微小欠失による隣接遺伝子症候群で、特異顔貌、大動脈弁上狭窄、成長障害、精神遅滞、認知障害などの臨床的症状があらわれる。主な認知障害には、知能発達遅延(指数が60前後)、視空間の認識欠陥、数と時間の概念発達遅滞障害などがある。とくに視覚認知障害では、形、方向、近接要因にもとづくゲシュタルト特性能力、波形格子パターンから構成された輪郭の検出は劣るが、明るさ、閉合、行/列要因にもとづくゲシュタルト特性は健常児と同等であり、また幾何学的錯視も可能である(Pani, et al. 1999, Palomares, et al. 2008, Farran, 2005, Kovacs, et al. 2001)。これらの障害は、複数の刺激要素を統合して視空間を再構成することが難しいために起きていると考えられる。
 そこで、Palomares et al.(15)は、ウイリアムス症候群児(11歳から24歳まで12名)を対象に視空間の発達程度をしらべるために3点間真直調整テスト(3-point Vernier alignment)2点の通常アンカーがある条件と2点のアンカー間で主観的輪郭が真直を構成する条件(27)で実施した。実験は、上下のアンカー刺激の中央に位置する刺激を左右にシフトさせ3点が真直になるように調整させることによった。アンカー間の距離は1.53.04.56.011.5度(視角)の5段階に変化、それぞれでのVernier閾値を求めた。対照群には、健常児童(3歳から9歳)と健常成人(平均23歳)を設定した。
 実験の結果、ウイリアムス症候群児と健常児群は成人群に比較してアンカー間の距離が長くなるとVernier閾値は増大したが、2点のアンカー間で主観的輪郭が真直を構成する条件では、ウイリアムス症候群児、健常児群および成人群ともにVernier閾値は小さくなった。
 ウイリアムス症候群児は健常児群と同様に、刺激間の距離が長い事態での視空間の統合は未発達な状態にあることから、ウイリアムス症候群児を含めて児童は各刺激要素を視空間の再構成のための手がかりにする能力は持っているが、視空間の全体性の視点から刺激を統合し再構成する視覚メカニズムは発達過程にあると考えられる。


児童における反転図形の反転頻度と脳梁との関わり
 反転図形の反転頻度は、発達過程で変化する。5歳齢以下では自発的な知覚反転はほとんど報告されないし、報告されても1分間に1回程度の反転回数である(Doherty & Wimmer 2005, Gopnik & Rosati 2001, Rock, et al.1994)。視野闘争図形(垂直線と水平線)の一方を各半球のどちらかに他方を別の側に提示し、片耳への冷水を注入する方法で単独半球の効果をしらべた研究によると、活性化した単独半球側に提示した図形の反転頻度と持続時間が高くなることが示された(Miller, et al.2000)。視野闘争に半球が単独で一定の関わりをもつことは、半球間を連絡する脳梁も関わりを持つと考えられる。分割脳患者を対象とし反転図形を片半球のいずれかに提示しその知覚的反転をしらべた研究によると、反転頻度は健常人と同等であったが、反転するのに健常人の2~3倍の時間を要していた(O’Shea & Corbalis 2001,2003,2005)
そこで、Fagard, et al.(4)は、脳梁に欠陥のある児童を対象に知覚反転テストを試み、脳梁の役割を明らかにしようと試みた。脳梁欠損症児童10名(一部あるいは全部の欠損、5歳から9歳、IQ1人を除いて正常範囲)、対照群として同年齢の健常児童を対象に、「ウサギ-アヒル」反転図形を提示し、観察時間1分間の反転回数を測定した。
 実験の結果、脳梁欠損児童群は健常児童群に比較して有意に反転回数が低いことが示された。これらの結果は、脳梁が図形の反転の生起には関係していないが、しかし2通りの安定した視えが生起した後での知覚反転に注意の調整という役割を通して影響していることを示唆する。


仮現運動の奥行に関する心的表現
 仮現運動が成立しているとき、仮現運動は2次元のみで処理されて生起するのか、もしくはそれには3次元特性も関係しているかについては論争がある。たとえば、Ullman(1978)は、仮現運動には2次元面の距離要因が関係し、3次元情報には基づかないで成立するとしたが、一方で仮現運動には3次元の処理過程が関与するとの研究も報告された(Green and Odom 1986, Koriat 1994, Tse and Logothetis 2002)。
 そこで、Hidaka,et al.(9)は、28に示したような実験パラダイムで、仮現運動の視覚情報処理が2次元にとどまるかあるいは3次元の特性を包含するものかを検討した。実験はディスプレーの上側の左右端に各1個の運動刺激(陰影で構成された球)が最適な仮現運動が生じるように下方向に移動する。仮現運動の中間位置に別に用意した刺激(フラット刺激、陰影で構成した凹あるいは凸刺激)を挿入する(運動刺激と挿入刺激は図28の上段に示す)。被験者には、左右端の刺激の仮現運動の滑らかさを7段階で判断させる。
  実験の結果、挿入刺激がフラット刺激の場合にもっとも滑らかな印象が生起し、凹刺激が挿入された場合にはもっとも滑らかさに欠けることがわかった。
 そこで運動刺激と挿入刺激をRDSで構成し、同様な実験パラダイムで検討した。ここでの運動刺激は背景からフラット面が浮き上がるもの、逆にフラット面が背景の背後に沈み込むものである。実験の結果、フラット面の場合にもっとも滑らかな運動印象が生起し、挿入刺激が3次元刺激の場合には滑らかさに欠ける印象が示された。
 仮現運動軌道への挿入刺激が2次元対象の場合には運動印象が良く、逆に3次元対象の場合に滑らかさが損なわれるという結果は、仮現運動の内的な情報処理過程では少なくとも3次元情報は明確には付与されていないと考えられる。


ベクションを加速する運動刺激パターン
 ベクションとは、放射状に拡大あるいは収縮するドットパターンの注視による観察者の見かけの身体運動の誘導をいう。放射状に拡大・修飾するパターンは静止した観察者に視覚と運動の抗争事態を引き起こす。視覚は対象が自己に接近することを指示し、前庭感覚は身体の静止を指示するので両者間に抗争が生じるが、視覚が有意になり見かけの身体運動が生じる。隣接した車が動くと、自分の乗車している車が反対方向に動いて感じられる誘導運動、あるいは部屋全体が回転すると、それとは自分の方が反対方向に回転して感じられる誘導運動と同等のしくみによる。 Palmisano, et al.(14)は、このベクションを強化する運動刺激パターンについてしらべた。運動刺激パターンは、29にあるような3種類を設定した。図の(a)は等速度の拡大放射状パターン、(b)は不規則な垂直・水平・奥行の各方向への小刻みな動き(ジッター)をもつ等速度拡大放射状パターン(図は垂直方向の変化を表す)、(c) 垂直・水平・奥行の各方向に振動(オシレーション)する等速度拡大放射状パターン(図は垂直方向の変化を表す)をそれぞれ示す。実験では、観察者にベクションが感じられるまでの時間(潜時)、およびベクションの方向と速度をマウスを利用して再現するように求めた。
 実験の結果、拡大放射状パターンにジッターあるいはオシレーション運動を付加すると、奥行方向の追加条件を除いて垂直と水平方向の付加条件ではベクションの立ち上がり(潜時)が小さくなり、またベクションの速度が増加することが示された。
 これらの結果から、放射状運動パターンにジッターあるいはオシレーション運動を追加すると、ベクションを増強する。