奥行手がかりの統合

奥行手がかりの最適な結合
 複数の奥行手がかりが観察するシーン内に存在する場合には、視覚システムは個々の手がかりの奥行効果を評価し、次いでそれらの評価値に重みを付けて加算し、最終的にシーンの奥行値を算定すると考えられている(Young, et al.1993Landy, et al. 1995)。この手がかり統合過程では、ノイズによる小さな変動を考慮する必要がある。Muller et al.(14)によれば、仮に単眼視手がかり(パースペクティブ)と両眼視手がかり(両眼視差)が傾斜面(前額平行面の水平軸を中心とした傾き)について、それぞれが奥行手がかり値をm、bと評価し、それに重み付けwと(1-)が割り当てられたとすると、次式を得る。

    (1)

もし、mとbのエラーがそれぞれ独立に生起するとすれば、分散値Sは次式となる。

 (2)

ここではパースペクティブ要因の、は両眼視差要因の分散値である。

重み付けは分散値S)が最少となるとき最適となると考えられる。Sの最少の分散値は、(2)式におけるwを微分して0になるようなwの値を求めればよい。これは個々の奥行手がかりの分散の関数で次のように示される。

      (3)

(3)式と(2)式からwを消去すると、個々の奥行手がかりの分散で表されたSの分散の最小値を、次式のように得ることができる。

   (4)

(4)式のは、奥行傾斜面の評価値であるmとbから独立しているので、両奥行手がかりの加算で得られた傾斜面の知覚値は、両奥行手がかりが同一の傾斜面を指示している場合(m=b)および抗争する傾斜面を指示している場合(m≠b)でも同一値となる。(2)式から演繹された結論は、分散が個々の奥行手がかり内で生じている場合にのみ成立し、分散が奥行手がかりの重み付けあるいは加算の過程で生起する場合には成立しない。これまでの研究によれば、奥行手がかりに関する分散は個々の手がかり内で生起している(Knill & Saunders 2003Muller et al. 2007)。また、このような分散が重み付けの段階で生起するならば、分散の重み付けの結果として知覚された奥行傾斜面の分散値は個々の奥行手がかりで評価された奥行傾斜値間の差に比例して増大するので、両奥行手がかりが同一の奥行方向を示している場合にはこの分散値は小さく、両奥行手がかりが抗争している場合には大きくなると予測できる。したがって、個々の奥行手がかりが同一の奥行方向を示している場合には、知覚された奥行傾斜は正確な値となる。(4)式を利用するためには、個々の奥行手がかりの分散を得る必要がある()しかし、個々の奥行手がかり単独もしくは複数の手がかりの奥行値が得られる条件を設定することは、ひとつの奥行手がかりを除去することが他の手がかりの奥行知覚値に影響するので困難である。そこで、Muller et al.は、2つの奥行手がかりが同一の奥行傾斜面を指示する事態(奥行手がかり同一条件)とそれらが異なる奥行傾斜面を指示する事態(奥行手がかり抗争条件)とを設定し、個々の奥行手がかりの分散の加算値が両条件で同等となるか、あるいは奥行手がかり抗争条件の方が大きくなるかを検討した。実験では、50度あるいは60度の奥行傾斜面(前額平行面の上端が背後に傾斜)をパースペクティブと両眼視差で奥行手がかりが同一条件(50506565)、あるいは奥行手がかり間で抗争する条件(50656550)で設定した。したがって(4)式は次のようになる。

      (5)

50度もしくは60度の傾斜面をふたつの奥行手がかりで設定すると、最適な奥行手がかりの組合せは次の4通りとなる。

   
   (6a)

     
   (6b)

     
   (6c)


   (6d)

(6)式の左辺の分散値は測定可能な値である。また、(6a)と(6b)の右辺の加算は(6c)と(6d)の加算と等しくなる。

   (7)

これを(4)式のように書き直すと次のようになる。

   (8)

さらに、奥行手がかり同一条件での分散値と奥行手がかりが抗争条件でのそれを考慮すると次のようになると予測される。

  (9)

 Muller et al.は、(9)式が成立するかどうかを実験的に検証した。実験では、36に示したステレオグラムを用意した。ステレオグラムの奥行傾斜面は両眼視差とパースペクティブ(小円の形状を奥行傾斜に比例して楕円に変形)で操作された。視えの奥行傾斜は、右側刺激(reference)で出現した奥行傾斜を左側図形(probe)の奥行傾斜を変化させて測定した。実験結果にもとづいて分散値が計算され、(8)式の右辺と左辺が算出された。その結果、奥行手がかり抗争条件での分散値は奥行手がかり同一条件のそれと等価になることが示され、(9)式が成立しないことが確認された。
 これまでの研究によれば、奥行手がかりは、それらが指示する奥行が抗争していると知覚されない限り、最適に加算されることが示されてきた(Hillis et al.2004van Beers et al. 1999)。しかし、今回の結果は、知覚的抗争が明瞭に知覚されているにもかかわらず(知覚反応時間は奥行手がかり同一条件より抗争条件で長い)、複数の奥行手がかりの一方が除去されずに最適な奥行値を得るために加算されていることを示唆す

奥行手がかり内と奥行手がかり間の統合
 Landy et al.(1995)による奥行手がかりの弱い融合による3次元形状復元モデル(Modified Weak Fusion’ model,MWF)によれば、3次元形状は複数の奥行手がかりの重み付けられた知覚値の加算的総和で復元される。ここでは、奥行手がかりが統合される前のプロセスでの奥行手がかりモジュール間の相互作用を認めていない。もしこれを認めると、モデルの線形性と矛盾してしまう。しかしながら、複数の異なる奥行手がかりから形状を知覚させると、その知覚値は質的に異なる結果となり、手がかり間の相互作用を仮定せざるを得ない。MWFでは、奥行手がかり処理のある段階でひとつの奥行手がかり処理系で未処理の欠けていたパラメータが他の手がかり処理系からのパラメータで補填されるためにこのような現象が生起すると、説明する。たとえば、両眼視差での奥行絶対距離(観察距離)の要因が欠けていたパラメータだった場合には、運動視差からのパラメータで推測的に補填される。3次元形状の復元は、「各奥行手がかりモジュールから出力された形状値の加算的総和(shape by cue xcue-dependent)」によるとする考え方と、「各奥行手がかり効果を相互作用させた上で得られる形状値(shape by cue combinationcue-invariant)」によるとする考え方とがあり、それぞれを支持する研究が報告されている。MWFを支持する研究では、傾斜面の順応は各奥行手がかり別に行われる(Knapen & van Ee, 2006).)とされ、後者のそれには、傾斜面の順応は手がかり間の相互作用で行われると報告(Bradshaw & Rogers, 1996)されている。
 Van der Kooji & te Pas(26)は、3次元形状の復元では、「各奥行手がかりモジュールから出力された形状値の加算的総和 (cue-dependent)」モデルに追加して、「各奥行手がかり効果を相互作用させた上で得られる形状値 (cue-invariant))」のモデルによる機能も加わっているかについて実験的に検討した。実験では、形のコントラスト(形状対比)と同化現象(形状同化)が利用された。前者はある対象の形状知覚が隣接する同様な形状の影響を受けて対象の形状が強調されるような知覚現象であり、後者は同様に隣接する形状の影響を受けて対象の形状が隣接する形状に近似する現象である。形状対比は輝度、運動視差、あるいは両眼視差など奥行手がかりが異なる2つの対象間で生起するが知られているが(Curran & Johnston 1996te Pas & Kappers 2001te Pas, Rogers & Ledge-way, 2000)、もしテスト刺激と誘導刺激の形状のための奥行手がかりの両方の効果の相互作用を経て統合されて形状値が得られていれば(cue-invariant)、これらの奥行手がかりが同一あるいは相異しているかに関わらずに、誘導刺激はこの種の対比を生起させると考えられる。一方、この対比が誘導刺激の奥行手がかりとは独立に生起しているならば、テスト刺激と誘導刺激の奥行手がかりがそれぞれ違っていても、誘導刺激は形状対比を起こさないと考えられる。
 いま、テスト対象の形状とその周囲にある誘導刺激の形状とが同一の奥行手がかり(両眼視差あるいは運動視差、これは対象内同一奥行手がかり)、もしくは相異なる奥行手がかり(テスト刺激が両眼視差ならば誘導刺激は運動視差、これは対象間相異奥行手がかり)によって生起している場合をそれぞれ仮定してみよう。もし形状対比が対象内同一奥行手がかり条件で明瞭に出現すれば、これは「cue-dependent」によると考えられるし、また形状同化が対象間相異奥行手がかり条件で明瞭に出現すれば、これは「cue-invariant」によると考えられる。この仮説を検証するために、37に示したようなステレオグラムを用いた。ステレオグラムは、その中央に配置したテスト刺激である中央辺が水平方向の楔状パターンと周辺に配置した同様な楔状パターンである誘導刺激から構成されていて、テスト刺激の楔状角度は120度であり、誘導刺激のそれは90度と150度の2段階に設定(図中cに表示)にそれぞれ設定した。図の(a)には誘導刺激が90度の場合のステレオグラムが、(b)には150度の場合が示されている。実験条件は、テスト刺激と誘導刺激の奥行手がかりが同一の「対象内同一奥行手がかり」条件(両眼視差同一あるいは運動視差同一)およびテスト刺激と誘導刺激の奥行手がかりが相異なる「対象間相異奥行手がかり」条件(テスト刺激が両眼視差で誘導刺激が運動視差、あるいはテスト刺激が運動視差で誘導刺激が両眼視差)とした。被験者にはテスト刺激の知覚的傾きが別に用意した比較刺激(テスト刺激の直後に提示)の楔形状の角度(100から140度の範囲で変化)と同等になるように判断させた。知覚的傾きの測定は恒常法で実施し、PSEを求めた。
 実験の結果から、誘導刺激が存在しない事態でのPSEと各実験条件でのPSEの差(バイアス、bias)を誘導効果の指標として用いて、各刺激条件を比較した。この場合、形状対比が生起すれば、バイアス値はマイナスとなり、プラスとなれば形状同化が生起しているとみなせる。その結果、テスト刺激が両眼視差で誘導刺激も両眼視差の場合にはバイアス値は有意にマイナスとなって形状対比の生起を、一方、テスト刺激が両眼視差で誘導刺激が運動視差の場合にはバイアス値は有意にプラスとなって形状同化が起きていることをそれぞれ示した。しかし、テスト刺激が運動視差の場合には、誘導刺激が同一あるいは相異の両条件で有意なバイアス値は得られなかった。このことから、テスト刺激が両眼視差で成立している場合、形状対比は「対象内同一奥行手がかり」条件で、形状同化は「対象間相異奥行手がかり」条件で生起し、その結果、「各奥行手がかりモジュールから出力された形状値の加算的総和 (cue-dependent)」モデルに加えて「各奥行手がかり効果を相互作用させた上で得られる形状値 (cue-invariant))」モデルの両方が奥行手がかりの統合過程で機能していると考えられる。