4.視空間構造

絶対的奥行距離の過小視についての2つのモデル
 絶対的奥行距離は過小視されるが、これを説明するモデルに内在的偏向モデル(intrinsic bias model)と俯角拡大モデル(angular expansion model)がある。図19の左図には内在的偏向モデルが、右図には俯角拡大モデルが示されている。ここで、D:奥行絶対距離、D’:視えの奥行絶対距離、H:眼の高さ、γ:俯角、γ’:視えの俯角、β:視線と地面とがなす角、β’視えのβ、η:地面傾斜角である。内在的偏向モデルでは、視覚システムは内在的に地面が上方に傾斜していることをデフォルトとしていることを仮定する。俯角拡大モデルでは、視覚システムは対象までの俯角を拡大する傾向があることを仮定する。
 次式は内在的偏向モデルによる視えの絶対奥行距離(D')の予測式である。

 また、俯角拡大モデルによる視えの絶対的奥行距離(D')は、視えの俯角(γ’)による場合(gaze model)と視かけの視線と地面とがなす角(β’)による場合(optical slant model)の2通りの予測式が可能となる。

 

このとき、視えの俯角(γ’)を次のように仮定すると

また、視かけの視線と地面とがなす角(β’)は次のように表される。

k1は1.5、Cは0となるので、次のようになる。

 相対的奥行距離については、内在的偏向モデルの場合、次式で表される。

この式による視えの相対的奥行距離は図20のように表される。

俯角拡大モデルで視えの俯角(γ’)による場合(gaze model)には、

俯角拡大モデルで視かけの視線と地面とがなす角(β’)による場合(optical slant model)には、D’を次のように仮定すると

下記の式が得られる。

この俯角拡大モデルによって視えの相対的奥行距離は次の図21のように表される。
 Li & Durgin(11)は、視えの絶対的および相対的奥行距離についての内在的偏向モデルと俯角拡大モデルについての研究をレビューし、これら2つのモデルの幾何学的仮定は異なっているが、視えの相対的奥行距離についての予測は類似すると考えた。両モデルともに視えの相対的奥行距離の過小視を地面の傾斜の過大視に帰因させ、同様に俯角拡大モデルは視えの絶対的奥行距離を視線による俯角の知覚的過大傾斜に帰因させる。したがって、俯角拡大モデルは、2つのタイプの絶対的および相対的な視えの奥行距離の過小視、すなわちリニア-な圧縮(主に視線による俯角の知覚的過大傾斜による)、およびノンリニア-な圧縮(地面の視えの過度な傾斜による)を予測する。両モデルは、等しく相対的な視えの奥行距離の圧縮程度を予測するが、俯角拡大モデルではさらに絶対的な視えの奥行距離のリニア-な圧縮、高低差のある傾斜角の過大視、絶対的な視えの奥行距離と前額に平行な面との間の異方性など視空間のバイアスに関連した経験的な事実をも説明できるといった特徴がある。

対象の視方向における両眼間網膜イメージ差と眼球位置との関係
  観察者からみて対象がどの方向に視えるか(egocentric visual direction、EVD)は、Wells-Heringの法則で規定される。この法則によれば、対象が投影された網膜位置情報と眼球の位置情報の組み合せの結果で視方向が決まる。つまり、

EVD = 知覚された対象像の網膜位置(perceived retinal image location)+眼球位置(sensed eye position)

となる。また、眼球位置は次式で規定される。

眼球位置 = (W1×左眼球位置+W2×右眼球位置)/(W1+W2)

ここで、W1、W2は左右眼球位置に与えられる重みである。
 さらに、対象像の網膜位置情報は、網膜像の強度によって重みづけられる。たとえば、片眼の網膜像のみがボケていれば、視方向に与える情報は小さくなる。このWells-Heringの法則では、対象像の網膜位置情報と眼球位置情報は、それぞれ独立変数であることが前提とされる。これに対して、斜視者は対象像の左右眼の網膜位置が対応しないことによる二重像視を避けるために片眼情報を抑制する。また、屈折不同視のために左右眼の対象網膜像が同一とならない場合にも、片眼の抑制が起きている。しかし、これらの患者には対象の視方向の逸脱は起こらないことも知られている(Cooper et al.2000, Liu & Schor 1994, Pianta & Kalloniatis 1998, Serrano-Pedraza et al.2011, Schor et al.1992, Simpson 1991)。これらの研究は、知覚された対象像の網膜位置情報と眼球位置情報とは独立変数ではないことを示唆する。
 そこで、Sridhar & Bedell (18)は、Wells-Heringの法則の妥当性の検証実験を試みた。実験1では、中心窩に投影された片眼からの対象像が抑制される条件で対象の視方向の及ぼす各眼からの眼球位置信号の相対的重み付けを、実験2では各眼へ提示するターゲットに輝度差を設定した条件での各眼の位置信号の重み付けを、実験3では片眼が遮蔽された条件での各眼の位置信号の重み付けを、それぞれしらべた。実験は図22に示した実験事態で実施した。ターゲット刺激はディスプレー上に提示され、液晶シャッター眼鏡を通して各眼に別々に投影される。左図には対象像の網膜位置と眼球位置から予測される対象の視方向が示されている。ここでは右眼は常に同一の眼球位置を維持し、左眼は矢印で示されたような3方向の眼球位置をとる。このように、左眼が3方向の眼球位置をとる場合の視方向の変化は右側のグラフで表される。このとき、各眼の重み付けが等分な場合には、眼球位置の変化に伴う視方向の関係は0.5の勾配とる。もしこの勾配が0.5より小さければ位置変化しない右眼より左眼の位置の重み付けも小さくなる。図23には片眼のターゲット刺激にボケを導入した場合を示す。この場合、導入された眼の側は抑止を受けて視えなくなる。また、各眼への刺激に導入する輝度差は「1:1」、「1:4」、「1:8」の3条件でとした。被験者には、ターゲット刺激を観察させ、両眼への刺激を断つために液晶シャッターを閉じ、その後で記憶にもとづいてターゲット刺激の視方向を聞き手の人差し指でポインティングさせた。
 その結果、ボケ導入による片眼抑制がある条件での視方向の変位は、片眼抑制の無い条件に比較してボケ導入側の眼球輻輳角の操作による両眼輻輳角の非相称の拡大程度に伴い、リニアに拡大することが示された。また、両眼間の刺激に輝度差を導入した条件では、低輝度刺激側の眼球輻輳角の操作による両眼輻輳角の非相称の拡大程度に伴い、リニアに視方向の変位も拡大し、その変位も輝度差が高いほど大きいことが示された。この場合、輝度差が無い条件での両眼輻輳角の非相称の拡大に伴う視方向変位の一次関数勾配は0.54、輝度差が1:4では0.49、輝度差が1:8では0.32と、図23の右図に示したように、ほぼ予測通りとなった。
 これらの結果は、片眼への刺激入力を弱くし相対的に両眼間の視認度を変化させると、それに対応して刺激入力が弱められた側の眼球位置情報力も減じることを意味し、網膜情報と眼球情報は独立変数ではなく相互に影響し合っていると考えられる。