5. 視空間構造

奥行距離知覚における先行経験した対象の大きさの効果
 対象の物理的大きさ、仮定された大きさ(assumed size)、物理的奥行距離、知覚奥行距離の関係は51に示されている。物理的大きさは網膜に投影されるが、その網膜像の大きさは物理的奥行距離で一義的に決まる。一方で、知覚された大きさは網膜像の大きさで決まるのではなく、仮定された大きさ(知覚された大きさ)で決まると考えられる。
 Sousa et al.(44)は、直前に知覚された対象の大きさがその直後の大きさ知覚に影響を与えるかどうかをしらべることで、この仮定された大きさ仮説を検証した。提示した対象はバーチャル立方体で、テスト刺激は1辺1.5cmの立方体とし、その直前に提示する刺激として1辺1および2cmの立方体を用意した。実験では、まず直前刺激としての立方体を1個単独あるいは2個継時的(同一の大きさ)に両眼立体視で提示し、直後に1cmの立方体(テスト刺激)を提示した。被験者には、人差し指(被験者には視えないように配慮)に赤外線ダイオードを装着させ、テスト刺激の立方体に接触するように手を伸ばすことを求めた。この赤外線ダイオードの位置はオプトメトリック装置で検出し、テスト刺激までの知覚距離とした。テスト刺激は横幅8cm、高さ8cm、奥行20cmの仮想空間内のいずれかに提示された。
 実験の結果、先行提示刺激として2cm立方体を提示すると、1cm立方体提示条件に比較して、その知覚距離は遠くになることが明瞭に示された。先行刺激を単独提示した条件、および2つの刺激を連続して提示した条件ではこのような差はなかった。このことから、対象の大きさ知覚に影響する仮定された大きさは、直前の対象の知覚された大きさにのみ影響を受けると考えられる。

対象の一般知覚恒常性仮説(general object constancy)
  Qian & Petrov(2012)は、対象の明るさコントラストが対象までの観察距離を変えても恒常を維持することを示し、視覚システムは対象までの絶対奥行知覚距離が変わっても対象の属性を恒常に維持する働きがあると考え、対象の一般知覚恒常性仮説と呼んだ。すなわち、視覚システムは対象の大きさ、明るさコントラスト、色、両眼視差など網膜上での種々な変化を調整し、対象の恒常性を維持するというわけである。
 今回、Qian & Petrov(32)は、対象の一般知覚恒常性仮説の妥当性を検討するために、物理的奥行距離は変わらないが、視かけの奥行を変えることができるオプティック・フローを操作する方法で対象の大きさを変えて対象の奥行に関する恒常性が生起するかをしらべた。実験は、52に示したように、白色ディスク内に黒色ディスクを提示し、それらをディスプレーの横方向に収縮(観察者から遠ざかる)と拡張(観察者に近づく)運動(radial optic flow)させ、それらを点線に示された円形(実際には提示されない)内に提示した。これをハプロスコープを通してペアとしたディスク間に視差を付けて提示すると、鉛筆形状のパターンが奥行を変化させて観察される(100ペアを提示)。図52の右欄上段(Actual View)には対象の大きさと明るさコントラストの物理的刺激とその視え、下段(Perceived Object)には対象の奥行に関する知覚(横方向から描画)が示されている。被験者には、鉛筆形状のパターンが収縮時にその芯が鋭くなるように知覚されるかをまず応えさせ、その次に視差を変えながら、奥行に関して知覚変化しなくなる点を求めた(nulling paradigm)
 その結果、オプティク・フローを収縮させ観察者から遠ざかるように変化させた場合、視かけの「鉛筆の芯」(depth gradient)の明るさコントラストと大きさが増大し、より尖って知覚されること、またオプティク・フローを拡張させ近づくように変化させた場合には視かけの「鉛筆の芯」には逆の知覚印象が生起することがわかった。この視かけの「鉛筆の芯」の尖りを消失させるのには、両眼視差を平均43%減じる必要があった。これは奥行に関する恒常性が起きていることを示し、しかも奥行と明るさコントラストの恒常が相互に関連していることも示した。これらの結果は、対象の一般知覚恒常性仮説を支持する。そのしくみは、53に示されている。視覚システムは両眼視差、網膜像大きさそして網膜像明るさコントラストを対象までの絶対奥行距離(d)の関数であるkを乗じてそれぞれの出力値を決める。もし知覚された大きさが変われば、知覚された明るさコントラストと両眼視差もk’を乗じてそれぞれの出力値を変える。両眼視差による最終出力値は、大きさとコントラスト要因から2乗倍の影響を受け、奥行恒常性が生起するというわけである。もし、今回の実験のように、奥行の恒常を維持するためには要因kは2乗倍されて出力される。この仮説の特徴は知覚された大きさ、奥行そしてコントラストがすべて対象までの観察距離の知覚値に依存して変わることを前提としている点である。

両眼視差の誤ったスケーリングによる奥行圧縮と視えの傾斜角度
 対象までの視えの絶対奥行距離は約0.7倍過小視されること、視方向にある視えの傾斜面は最大20度過大視されること、そして注視点に設定した対象と対象間の視えの相対奥行距離(exocentric distance)は観察距離が大になるにつれて過小視されることなどが、これまでの研究で見いだされている。これらの実験的データをまとめる理論として、観察角度拡大理論(angular scale expansion theory)が提起された。この理論は視えの奥行絶対距離の直線的な過小視、相対奥行距離の非直線的過小視、視線方向の視えの傾斜面(上昇と下降)の過大視、そしてexocentric distanceにおける奥行距離の過小視を説明可能であるとされた(Durgin & Li 2011, Li & Durgin 2009, Li,Philips, & Dirgin 2011, Li & Durgin 2012, Li et al.2013,)54Aはこの観察角度拡大理論を示し、傾斜面(β)の観察角度は知覚的に拡大されてβ’となるので、傾斜面の視えの角度も過大となることを示す。
 一方、別の理論としてアフィン理論(Affine model)と固有バイアス理論(Intrinsic bias model)がある。前者では、前額平行距離は非過小視なのに奥行距離は誤った両眼視差の見積もりによって過小視(物理的距離Aが知覚的距離A'、物理的距離Bが知覚的距B')されるために起こる(54B)とする。後者では、地平面角度の知覚における固有のバイアスによる傾斜面の過大視(図54C)によると考える。観察角度拡大理論を式で示すと、次のようになる。

      (1)

ここで、β’:知覚傾斜角度、β:物理的傾斜角度、D:観察距離、k:定数、In :自然対数(底がe)をそれぞれ表す。
 Li & Durgin(24)は、このモデルをブラッシュアップし、近・遠両方の観察距離での広範囲の傾斜角度の知覚に当てはまる新しい観察角度拡大理論を提示した。いま、傾斜面が手が届くような手近にある場合には、垂直あるいは90度に近似して知覚される。これを数式で表すと、次のようになる。

         (2)

一般的に当てはまる式に統合するために、(1)(2)式を合わせると、次式が得られる。

   (3)

 この新しい観察角度拡大理論を検証するために、以下の実験が試みられた。実験は、55に示したように、CGで作成した昇り斜面事態(左図)と昇り斜面を右回転した刺激事態(右図)で両方ともにL字に白色ボールを配置したで。これを両眼視差を付してヘッドマウントディスプレーに提示し、被験者には白色ボールで構成されたL字のどちらの脚が長いかを判断させた。バーチャルに提示した傾斜面角度は視線に対して9度から90度まで9度間隔で変化させ、観察距離は2段階(2m8m)に設定した。L字形のコーナー位置に配置した対象(球)の視角は両観察距離とも1.14度に固定、またL字形の前額平行にある対象距離も7.15度一定とした。L字形の奥行方向にある対象間の距離は、前額平行にある対象間距離とのアスペクト比(奥行距離/前額平行距離)で、0.338.14の間で決められた。奥行間距離と前額平行間距離の間が等価に知覚されるPSE(閾値)を完全上下法で測定した。
 実験の結果からPSEをアスペクト比で算定し、次いでこのPSEであるアスペクト比(奥行距離/前額平行距離)の傾斜面角度に伴う変化を見ると、傾斜面角度が増大すると急激に減衰することが示された。観察角度拡大新理論、アフィン理論、固有バイアス理論のそれぞれから導かれる理論式でシミュレートしたデータとこの実験結果とを比較すると、観察角度拡大新理論とアフィン理論が固有バイアス理論よりも妥当性が高いことがわかった。観察角度拡大新理論は上昇傾斜面、下降傾斜面、片側上昇/下降傾斜面など広範囲に妥当する。一方、奥行の過小視が生起するのは両眼視差量を誤ったことにもとづくとするアフィン理論は、観察者の近傍の空間で知覚する傾斜角が視線上にある条件では妥当すると考えられる。