2.運動要因による3次元視

2.1.運動要因による奥行
キネティック・オクルージョンによる図地境界検出のためのニューラルモデル

 17aには、コケカエル(mossy frog) 擬態で隠れている。カエルが静止したままでは擬態を見破ることは難しい。それでは人間の視覚システムはどのようにしてカエルと背景が同一の輝度パターンをもっていて見分けることが困難の時に、背景からカエルを識別するのであろうか。この場合、もしカエルが横方向に動けばカエルを隠している背景とカエルとの境界領域にテクスチャの増減(accretion/deletion)が生起して背景とカエルの形状の間の輪郭を出現させるであろう。また、境界線に平行なカエルの動き(Shearing motion)はカエルの形状を前面に浮き出させる。このキネティック・オクルージョンのしくみを図示したものが図1のbである。その上図にはテクスチャが増減(accretion/deletion)した場合の図と地の境界領域でのテクスチャの変化が示され、テクスチャが静止した領域は図(F)となりそれが左方向に動く領域は地(G)となる。下図にはテクスチャが上方向に動いた場合(Shearing motion)が示され、この場合には動く領域が図となり、静止した領域は地となる。
 Layton & Yazdanbakhsh18)は、キネティック・オクルージョンによる図−地境界検出のためのニューラルモデル(18)を提案した。このモデルでは、運動信号を処理する大細胞層系統(Magnocellular pathway、赤色で表示)と、輝度コントラストを処理する小細胞層系統(Parvocellular pathway、青色で表示)を仮定する。第一段階では、運動信号は第1視覚領(V1m) の大細胞系統で検出され、また輝度コントラスト信号は第1視覚領の小細胞系統(V1p)で検出される。第二段階では、より大きな領域での一定の運動情報を選択的に得るために運動信号はMT野でプールされる。受容野に対して垂直方向の輝度コントラストと運動信号(accretion/deletion)はキネティックな「図」を得るためにV4で統合される。第三段階では、図−地境界領域を決定する信号がV4MT野からのフィードバックによってV2で発生する。V2の大細胞処理系統での図−地境界に関わるニューロン(MB cells)は図−地境界の方向と運動方向に同期し、V2の小細胞処理系統での図−地境界に関わるニューロン(PB cells)は図−地境界の方向と輝度コントラストに同期する。
 このニューラルモデルのシミュレーション実験が実施された。その結果は19に示されている。実験は次の4通りの刺激パターンを設定して実施された。Stationary kinetic edge(運動するテクスチャが静止した中央の境界で消失する事態)、Stationary kinetic edge degeneate(中央の境界を挟む左右領域で運動するテクスチャが境界で共に消失する事態)、Moving kinetic edge(中央の境界が運動し、それに随伴して静止したテクスチャが消失する事態)、Shearing motion(左右の領域の一方テクスチャのみがが中央の境界にそって運動する事態)。それぞれの実験事態のシミュレーション実験で得られたキネティックエッジは各事態を示した欄の右端に示されている。ニューラルモデルのシミュレーションの結果で得られたキネティックエッジは、人間が同種の実験事態を観察したときに得られる図−地分擬と一致していた。

図−地反転図形における時間的ダイナミクス
 ルビンの杯に代表される図−地反転パターンを持続観察すると、二人の顔と杯とが交互に反転して知覚される。この知覚的反転は「図」を担うニューロンの順応(一種の生理的疲労)が進むと、抑制過程が自動的に誘導されてニューロンの興奮過程を抑制し、その結果として別の「図」過程が興奮するためと説明されている。つまり、ニューロンにおける相互の興奮と抑制過程回路に基づくというわけである(Huguet, et al.2014, Kogo et al.2011, Noest et al., 2007)
 そこで、Kogo et al.(16)は、反転パターンにおける「図」の過程の興奮過程を消失させれば、図−地反転の頻度を少なくできると考えた。そこで、反転パターンを連続して提示する代わりに間歇に提示し、図−地反転頻度を測定した。反転パターン提示は1秒と2秒を設定、また反転パターンの非提示時間(ブランク時には灰色刺激を提示)は236810秒の5条件を設定した。反転パターンには、ルビンの杯パターン(図と地が反転)、Kanizaの多義的パターン(20:右側のKanizaパターンを注視し続けると、左端のように中央の垂直矩形が前面に浮き出て後面のパターンが透明に知覚される場合(transparency)と、垂直矩形が後面に退き6個の穴の開いた平面が前面に知覚される場合とが反転する)およびネッカーキューブ(立方体が奥行反転し2通りに奥行位置に知覚)を用いた。
 被験者にはパターンの見え方の反転を指定したキー操作で反応させた結果、ルビンの杯パターン提示条件では、提示時間が1秒という連続提示条件ではパターンの提示ごとに反転が生起したが、しかし間歇提示条件でも反転が生起し反転の抑制は顕著には現れなかった。一方、Kanizaパターンとネッカーキューブパターンの間歇提示条件では、反転の強い抑制が生起した。パターンの間歇提示によるこれらの反転の抑制には個人差もみられた。 
 この結果から、図−地反転の抑制は、パターンの間歇提示によるニューロンの抑制によって一般的に生起するとはいえないことが示され、これにはパターンの熟知性、意味関連、期待などトップダウンによる要因が関与していることが示唆されている。

曖昧でない事態での運動視差による奥行検出閾
 観察者が視野内の2つの対象の一方を注視しながら移動するとき、2つの対象は相互に動いて知覚され、網膜上にもこれらは相対的な運動として生じる。観察者が一方の対象を注視しつづけると対象を追従するなめらかな眼球運動も生起する。網膜上の相対的な運動と眼球追従運動の2つの要因によって運動視差による曖昧でない奥行出現が出現する。網膜上の相対的な運動だけでは出現する奥行の方向(手前か後ろか)を規定できない。この奥行の出現方向の曖昧さを消すものは網膜外の眼球追従手がかりである(Nawrot & Joyce 2006, Nawrot & Stroyan 2009)Nawrot & Stroyan (2009)Stroyan & Nawrot(2011)は、刺激側のパラメータ(distal)と網膜側のパラメータ(proximal)の間の関係は、網膜運動速度と眼球追従運動速度の比で表されることを示した。視空間では、対象の網膜運動速度(dθ/dt,  dθ)、観察者の眼球追従速度(dα/dt、dα)、注視点への観察距離(f)、注視点から対象までの距離(dMP)の間の関係は、次式のようになる。
 この式によると、もしdαとfが与えられていれば、それぞれの対象の網膜運動速度、すなわち運動視差(dθ)からそれらの対象までの注視点からの相対的距離(dMP)を知ることができる。運動視差は対象間の相対的距離を表すものなので、網膜像以外の手がかりがない場合には対象までの絶対的距離を知ることができない。
 今回、Holmin & Nawrot(14)は、対象の網膜運動速度(dθ)と観察者の眼球追従速度(dα)から曖昧でない対象間の奥行を知覚できる最小の奥行検出閾値を測定することで網膜運動速度と眼球運動速度の比(M/PR)を求めた。実験では、運動視差による奥行検出閾測定のために21に示すような運動刺激パターンが用いられた。観察者の眼球追従速度(dα)はドットを並進させて作成、また奥行出現させる領域内のドットとウィンドー内の刺激ドットは反対方向にシフトさせて操作した。ウィンドーと奥行領域のドットを明瞭に区別するためにウィンドー内のドットの速度は奥行領域のそれの7倍に設定した。観察者の眼球追従速度(dα)は、1.32.35.06.610.015.018.325.0deg/s8段階に、対象の網膜運動速度(dθ)は0.025から0.92deg/sの範囲でそれぞれ変化させた。奥行検出閾実験では被験者に出現した奥行領域が注視点の上か下かを判断させた。この奥行検出閾実験とは別に運動速度閾検出実験および眼球追従モニター実験も実施した。運動速度閾検出実験では、ウィンドーは並進させずディスプレーの中央に静止させた状態で上下の領域のドットを反対方向に運動させ、そのときに出現するドットの回転方向(時計回り、反時計回り)を被験者に知覚判断させた。眼球追従の正確度をみる眼球追従モニター実験では1個の白点で作成した追従対象を11段階の速度で左・右方向に運動させ、そのときの対象と眼球の位置の差(ゲイン)を測定した。
 実験の結果、奥行検出閾値(dθ)は眼球追従速度が5から18.3deg/sの間は一定となるが、これ以下あるいはこれ以上の追従速度では増大した。また、運動するドットの方向によって眼球が鼻−こめかみに追従する(NT)か、あるいはこめかみ−鼻側に追従する(TN)かで奥行検出閾値は異なり、NT条件で有意に小さいことが示された。運動方向を識別する運動速度検出閾値は0.13deg/sとなり、奥行検出閾値と同等を示した。また眼球追従の正確度は、追従対象の運動速度が20deg/s以上になるとゲイン値が大きくなり、追従の正確度が悪くなることが示された。網膜運動速度(dα)が25deg/s以上になると、奥行検出閾値が高くなるのは、この眼球追従の不正確によると考えられる。
 得られた測定値から対象の網膜運動速度と眼球追従速度の比(dθ/dα、MPR)が眼球追従速度によってどのように変わるかをみると、MPR 比は眼球追従速度が2.3deg/sで高く、それ以降は25.0deg/sまで緩やかに小さくなることが示された。これは、最小のMPR 比は網膜速度と眼球追従速度の両要因によって決められ、眼球追従速度が大きいあるいは小さい場合は不正確な眼球追従シグナルによって奥行検出閾は決められ、そして眼球追従速度が適切な場合には奥行検出閾値は網膜運動シグナルによって決められると考えられる。

2.2. オプティク・フロー
運動検出オペレーターとステレオオペレーターを用いての運動対象の検出
 自動車を運転する場合、観察者の移動に伴い観察者の眼にはシーンのオプティク・フローを生じさせる。Royden et al.(26)は、このような背景面と対象の動きによるオプティク・フロー、および両眼視差要因から観察者が移動している場合のシーン内の対象の静止と運動を検出するコンピュータ・モデルを提唱した。オプティク・フローは、22に示すように、(a)観察者が2つの奥行の異なる平面の中心に向かって移動するときのオプティク・フロー、(b)同様なシーンを観察者が回転しながら移動するときのオプティク・フロー、(c)運動する対象(右下)を含むシーン内を観察者が移動するときのオプティク・フローに分けられる。そこで、観察者が運動するシーン内の静止対象と運動対象を識別できるオペレーターが考案された(23)。受容野を模した各オペレーターは興奮領域と抑制領域に半分割されていて、その分割軸の角度は興奮と抑制領域の各モーションのあり方によって変わる。このオペレーターでは運動方向(矢印の方向で示す)および運動速度(矢印の長さで示す)を検出できる。モデルでは、このオプティク・フロー検出オペレーターに加えて両眼視差検出オペレーターが利用された。シミュレーション実験では、10mの奥行距離をもった観察者が500ドットの背景面のシーン内を移動する事態が設定された。背景面のドットは30度平方の枠の中でランダムに配置され、また50ドットからなる対象(縦横6度)は中心から7度右側、あるいは7度上もしくは下側に観察者から250から850cmの奥行距離に配置された。観察者はシーンの中心に向かって200cm/sの速度で移動し、シーン内の各イメージポイントの位置と速度は観察者と対象の運動のパラメータおよび各ポイントの3D位置に基づいて計算された。このように計算されたイメージの運動速度は網膜イメージのシミュレーションに相当する。
 24はそのシミュレーション実験の結果を示す。これらの図は、観察者が移動するときに生起する背景面、静止対象、運動対象から構成されたオプティク・フローで、運動対象は右側下部の小矩形内に、静止対象は右側上側の小矩形内に表示されている。運動対象を検出するオペレーターは受容野の位置に小黒点で示されている。図(a)には視差のチェックをしない時点でのレスポンスのモデル、図(b)には視差チェックした時点でのレスポンスのモデル、図(c) にはある特定の速度(1.2)のオプティク・フローにそって動く対象(左側上部)のレスポンスのモデル、図(d)にはある特定の速度(1.5)のオプティク・フローにそって動く対象(左側上部)のレスポンスのモデルをそれぞれ示す。図(a)(b)からは、視差の検証がされないとモデルは静止と運動の両対象ともに運動する可能性のあるものとして認識するが、視差の検証が実行されると運動対象に接するオペレーターのほとんどはそれが運動しているというシグナルを発し、静止対象に接するオペレーターのほとんどは運動シグナルを発していないことがわかる。図(c)(d)からは、対象内の速度ベクトルの角度が放射状のフロー領域と一致し、かつその速度とは不一致であれば、モデルは対象を正しく認識できることがわかる。またイメージ速度を変えたシミュレーション実験では、イメージ速度(1.5)を高めるとモデルはある奥行距離に位置する静止対象(400cm)を正しく認識できないことが示された。そこで視差検出オペレーターの視差に同期するカーブを改良したモデルを用いて、同様な事態でのシミュレーション実験を試みたところ、静止対象を正しく認識することが可能となった。 これらのシミュレーション実験から、イメージモーションとステレオ視差の検出オペレーターを用いるとシーン内の対象が静止しているかあるいは運動しているかを認識させることが可能なことが示されている。