6.その他の研究

輻輳運動におよぼす視覚ディストラクターの影響
 サッケード眼球運動は両眼共役性の眼球運動でその反応時間は数ミリ秒であるが、眼球輻輳運動(vergence)は両眼間で非共役性のもので対象物を3次元に位置づける両眼融合過程があるためその反応時間は遅い。しかし、両眼に投影された対象を中心窩に位置づけるために両眼が共働する必要がある。
 Yaramothu et al.(43)は、3次元空間に提示した視覚ディストラクター(注意をそらす対象)が両眼輻輳運動におよぼす効果を、ディストラクターがある条件と無い条件で比較した。実験は、図87に示したように、ハプロスコープを用いてターゲットXとディストラクターOを両眼視差をつけて提示した。両刺激はコンピュータを用いて左右のハーフミラーで視野の正中線上に提示するように制御された。提示する両刺激の奥行距離は、輻輳角度を1°、3°、5°、7°、9°の5段階に変化させて操作した。両眼輻輳運動は赤外線方式の眼球追従装置で測定、ターゲットとディストラクターの両刺激の提示は両刺激のどちらかが運動する条件と両方が運動する条件が設定された。すなわち、静止ディストラクターを正中線の遠・中・近のいずれかに輻輳あるいは開散させて固定提示、またターゲットを被験者に接近するように(輻輳)、あるいは遠ざかるように(開散)運動させる条件、また逆にディストラクターを遠・近に運動させるとともにターゲットも遠・近に運動させる条件をそれぞれ設定した。被験者にはターゲットを追従し、ディストラクターを無視するように教示した。両眼がターゲットとディストラクターの間を注視するか否かを確かめるために両刺激間の最終的な輻輳角反応を測定した。
 実験の結果、輻輳運動のピーク速度と振幅はディストラクターの無い条件に比較してディストラクターの有る条件では有意に大きいことが示された。この結果は輻輳運動がディストラクター刺激の存在によって影響され、これはサッケードに対する影響と類似のものと考えられる。

身体のサイズ認知における視覚情報の役割
 自分の身体的外観をどのように意識するかは自分のボディイメージに基づいていて、それはその人の心理的健康に影響する。ボディイメージは心理的態度要因と知覚要因から成り立つ。心理的態度要因は、身体の全部あるいは一部についてのフィーリングと考え方からなり、これらは身体に対する社会文化的理想と他者の外観からフィードバックされたものに影響を受ける(Grabe, et al. 2008, Myers & Crowther 2009)。身体についての視覚情報のひとつは自己の身体全体あるいは各部のサイズ評価である。また身体についての非視覚情報、たとえば自身の身体についての視覚経験、体性感覚より精度の高い視覚機能、他者の身体知覚あるいは視覚にもとづく自己-他者比較などが身体の評価にどのように影響するかは不明である。
 Thaler et al.(38)は、自己の身体の大きさの見積もりからどのような知覚や認知が自己の身体評価に影響するかを検討した。ボディサイズの評価は、図88に示したように、3種類の視覚情報、すなわち視覚アクセスがなく記憶したボディサイズで評価する条件(図の左端)、鏡による自己のボディに対する視覚フィードバックのある条件(中央)、そして自己のボディの全身を上から下まで実際に観察して評価する条件(右端)を設定して行われた。もし視覚アクセスがない条件での自己のボディサイズの評価が自己のボディサイズのこれまでの記憶、あるいは鏡で自己を見られる条件と類似しているならば被験者の身体の内的な表象によって評価されていると予測される。成人被験者(32名の女性、16名の男性)には、実験者によって操作される目盛りのないメジャーで自己の足、肩、ヒップそして頭部のサイズマッチングを各実験条件で遂行するように求められた。
 実験の結果について、実際のサイズに対する見積もった値をパーセント提示((estimated size/actual size)×100)して各実験条件を比較したところ、身体各部のサイズ評価は各実験条件間で有意差がないことが示された。各実験条件を通して身体各部の大きさは過大評価され、とくにヒップと頭部で著しかった。このことから、自己のボディサイズの評価には、直接に自身を観察する視覚アクセスするか否かは関係しないことが示された。

展望:正視化(emmetropization)の発達過程
 Rucci & Victor(28)は、正視化(emmetropization)の発達過程のこれまでの研究を展望した。正視とは肉眼で遠くの対象(6m程度)を眼鏡などを用いずに肉眼で注視し、それを鮮明に視える状態をいい、正視化とはその発達過程を指す。正視化についての研究は、網膜に投影された外界のイメージとその空間的特性に焦点が当てられてきた。しかし、この分野の神経生理的研究はイメージの空間的特性だけでは正視化の発達には十分ではなく、空間的かつ時間的なもの、すなわち眼球運動に起因する時間的輝度変化およびこの変化に関わる自然シーンとの相互作用が必要であることを示している。眼球運動による時間ー空間の網膜への入力変化は焦点のボケ(Blur)をもたらすことによって正視化のメカニズムの有力な手がかりとなる。眼球運動と正視化の一連のメカニズムは図89に示されている。図の(A)は、眼球の発達とフォーカス(焦点)との関係でフォーカス距離が短いと近視、長いと遠視となり対象がボケて視えることを示す。図の(B)は、小サッケード(microsaccade)、すなわち絶え間ない眼球の動きあるいは1点注視のなかでのサッケード(ピンク色で表示)を示す。図の(C)は、対象注視時の眼球運動は網膜受容器からの輝度情報によって絶え間なく調整されることを示す。図の(D)は、カメラを100msの速度で動かし眼球のドリフトに模した時のボケのイメージを表す。図の(E)のグラフは、対象注視時の眼球ドリフトによる輝度の振幅変調は空間周波数とともに変わり、周波数の臨界期(kc)で最大となりそれを越えると小さくなること、また周波数の臨界期(kc)は時間周波数とともに増大し、網膜上のイメージ量に伴い減少すること、さらに、kc以下では眼球のドリフトによる増幅は自然シーンイメージのスペクトラル濃度を平均化する(点線)ことをそれぞれ表す。図の(F)のグラフは、この効果が網膜への入力スペクトラムを平均化(白くする)するが、その程度は眼球のドリフトによって異なることを表す。図の(G)イメージは、ガングリオン細胞レベルでの眼球のドリフトが有る場合の時間的変調のスナップショット(左:小さいドリフト、右:速いドリフト)で、注視対象はドリフトが大きいとボケが拡大することを表す。図の(H-I )は、正視化中の入力スペクトラムの変化のグラフで、ボケ(α)が異なると輝度の振幅変調の強さも異なることを示す。イメージが網膜上でシャープなほど空間的周波数の均質化は、眼球ドリフトが小さい場合に大きくなるけれども眼球ドリフトが大きい場合には限定的であることを示す。
 これら研究成果は、注視化の発達が網膜に投影されるイメージ特性、たとえばボケなどが重要ではなく、時間的そして空間的な輝度の変化が重要であることを示す。とくに小さな眼球運動は絶え間なく生じ、自然シーンを視ている場合にはそのシーンに時間的変調がかかって網膜に入力されることになり、この種の再フォーマットは視覚的感度を高めるとともに視覚情報処理の発達の観点からも重要である。このような時間的な変調が起きると、眼球の機能が高められ、眼球大きさや形状に影響し、視ているシーンの空間構造のあり方にも関わってくる。これらの知見は近視と遠視のできるメカニズムにも参考となる。