ぼたん
立夏も間近になり朝晩は冷えることもあるものの、日中は汗ばむ陽気になった。夕方の散歩では
、ボタンが見事に咲いているお庭が目に付く。
ところで、ボタンは牡丹と書くがそのいわれはなんだろうか。調べてみると、丹は花の赤色をさし、
牡はオスメスのオスをさす。すなわち、ボタンは根からも殖やすことができる、つまり無性繁殖も可能
なことから、牡丹と言われるようになったとある。もっとも、現在では花の色は赤のみではなく、白、薄
桃色、紫色、そして黄色もある。
「立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花」
これは故事ことわざのたぐいであるが、広く人口に膾炙されている。どの花も美しいことから座り姿、
立ち姿、歩く姿の三拍子揃った美人を形容することわざである。
そういえば、白楽天も長恨歌で楊貴妃を牡丹に例えている。江戸期、北信濃の俳人 小林一茶は
次のような句を詠んだ
「福の神やどらせ給ふぼたん哉」
一茶は土蔵に住むような清貧というよりは極貧のなかで作句したが、あでやかに咲いた牡丹から、幸
せをもたらす何事の起こることを念じている。
「そのあたりほのとぬくしや寒ぼたん」
これは高浜虚子の作句。ここで詠まれているのは春牡丹ではなく寒牡丹だ。ここでは牡丹の花を温し
やと表現し、そこだけ室内の寒さがほのかに和らいでいると詠んだ。
「一隅や明明と見ゆぼたんかな」 敬鬼
散歩の途次、どなたかの家の片隅が明るいなと感じて目をやると、そこに大輪の深紅の牡丹が咲い
ていた。まるで幾分暗く感じる庭の一隅を燦々と照らしているようだ。
2016年4月23日