潮干狩り

 潮干狩りに娘が職場の同僚と行ってきた。今年は不作だとかで浅蜊は皆小粒だ。でも、塩水の中で足を出し、時々は潮を吹く。それを見ると浅蜊も生きていると実感する。もっとも、いずれ煮たり炒めたりして食するのだから、残酷なものだ。そんな運命とは露知らずに浅蜊は潮を吹く。よくよく見ると貝殻の縞模様はみな違うようだ。色も黒、白黒、白茶、茶色、青、青白など多様で、同じ模様をした個体はいないようだ。
 日本人は貝を縄文時代から食してきた。その貝殻の捨て場が貝塚遺跡である。日本列島ではおよそ2500個所もあるそうだ。中でも東京都品川区の大森海岸の貝塚遺跡は教科書にも掲載されよく知られている。これは1877年、アメリカ人の動物学者・エドワード・モースによって発見されたものだ。なんでもモースは横浜から新橋へ向かう途中、大森駅を過ぎてから直ぐの崖に貝殻が積み重なっているのを列車の窓から発見したという逸話が残されている。
 浅蜊や蛤は、潮汁・酒蒸し・味噌汁、和え物、しぐれ煮などに調理して食べるとおいしい。縄文人はきっと潮汁にして食しわれわれと同じように旨いと感じたことだろう。

「浅蜊椀無数の過去が口ひらく」

 加藤秋邨の句。あさり汁をいただくとき浅蜊の二枚貝が開いていて、そこには浅蜊の今は肉となったものが見える。そのときの肉食者としてのわだかまりを詠んだものだろう。

「あさり汁うましと言ひて一と息に」

 細見綾子は兵庫県出身の俳人で、松瀬青々に師事、「風」同人。「そら豆はまことに青き味したり」など日常の一コマを感性豊かに詠んだ。ここには肉食者としての後ろめたさはないようだ。

「やれ煮るな足を出し入れ浅蜊かな」 敬鬼

                                                 
                                                       2016年 6月10日