喜寿




 今年は満77歳となった。誕生が1944年の1月13日である。太平洋戦争の真只中であった。この年の10月レイテ沖海戦、空母4・戦艦3ほか26隻、航空機215機を失い、連合艦隊事実上壊滅。10月末には海軍神風特攻隊がレイテ沖で米艦船に体当りした。敗北への始まりの年に生を受けた。灰田勝彦「ラバウル海軍航空隊」、伊藤久男「あゝ紅の血は燃ゆる」、酒井弘・安川愛子「同期の桜」等の歌が流行していた。父は、この頃、直江津の日本曹達へ徴用され家を留守にしていたという。昭和20年、徴用を終えたのは終戦間近だったと聞いた。

 こんな時代に生をうけ、昭和、平成、そして永和の時代を生き抜くことになったが、時代としては戦争がなく平和が続いたので、良い時代を過ごしたと言える。戦争の困難な時代を生きた祖母は、孫が生まれたとき、本当に良い時代に生を受けた恵まれた子たちと言ってくれたのが忘れられない。

 

喜寿を迎えた感慨の俳句

「薄氷を踏みしめて得し喜寿かな」 

「新春や言祝ぎ受ける喜寿の年」

「淡々と迎える喜寿のひとり酒」 敬鬼

 

21年1月14日