秋の花といえば菊だろう。あちこちで菊花展や菊人形展が開かれ、好事家を含め多くの人を集めている。飛鳥時代・奈良時代まで日本に菊がなかったことは、菊を詠んだ和歌が一つも無いことから推定される。日本には中国から奈良時代末か平安時代初めにもたらされ、平安時代に編まれた『古今和歌集』には菊を詠み込んだ和歌が多くみられる。

「濡れてほす  山路の菊の  露の間に  いつか千歳を  我はへにけむ」
素性法師の歌である。素性法師は僧正遍照の子であり、9世紀中頃の歌人であった。山路を歩いていたら衣服が菊の露に濡れてしまった。濡れた衣を干すわずかな間になんと千年も経ってしまったという。時の経過が無常にも早いことを詠んだのだろうか。
 鎌倉時代以降、菊は皇室の紋章になり、日本の秋を象徴する花となっていく。江戸時代の元禄期から菊花壇や菊人形が作られ、菊は盛んに鑑賞された。

「菊の香やならには古き仏達」                   松尾芭蕉のよく知られた俳句。芭蕉が菊の節句(重陽節)に奈良で詠んだもの。菊と仏で奈良を象徴させた名句といわれている。

「あるほどの菊抛げ入れよ棺の中」                 夏目漱石の俳句。漱石の親友の夫人が亡くなったときの句で、歌人でもあった故人を偲んでのものと伝えられている。ぶっきらぼうな表現の中にも深い哀悼の感が伝わってくる。
いつからか、菊は棺の中に入れる花、そして葬儀に飾る花になっていく。

「白菊や棺のかんばせ温めたり」(敬鬼)

享年98歳の長寿を全うした義理の叔母の納棺に際しての一句

                        
                         
20161015