曼珠沙華




 

 

 散歩道の河原の土手には曼珠沙華が満開となった。曼珠沙華には赤花と白花があるが、やはり赤花が一面に拡がって咲いていると華やかだ。「赤い花なら曼珠沙華 阿蘭陀屋敷に雨が降る・・・」といった歌詞があった。「長崎物語」という歌謡曲で昭和14年に流行したようだ。作詞は梅木三郎、作曲は佐々木俊一、由利あけみが歌った。江戸幕府三代将軍の治世下、イタリア人の父と日本人の母との間に生まれた「お春」がキリスト教禁止のあおりを受けてジャカルタに追放され、その地から帰郷かなわぬ長崎を偲んだという故事にもとづいている。
 曼珠沙華は、彼岸花ともあるいは死人花とも呼ばれる。これは墓地に多く植えられていたからだ。

「仏より痩せて哀れや曼珠沙華」
漱石の俳句。曼珠沙華の花は、まるで赤い水引で細工したように可憐である。きっと、漱石はその印象を痩せて哀れやと詠んだのだろう。

「歩きつづける彼岸花咲きつづける」
種田山頭火の俳句。自分は歩き続ける。それにそうように彼岸花も一面に咲き続いている。こんな景観をそのまま俳句にしている。

「夕日浴び川岸彩る曼珠沙華」(敬鬼)
                                         
                             2016
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