野分






 

 

 
 今年は
8月下旬から上旬にかけて相次いで大型の台風がやってきて、東北や北海道に甚大な被害をもたらした。九月一日頃は、暦では二百十日とよばれる。これは立春を起算日として210日目ということである。この頃はとくに台風が多いとされる。

 平安朝時代から、この期の台風は野分けといわれ、恐れられてきた。『源氏物語』のなかにも「野分け」という帖がある。野分けが吹き荒れた朝、草花がなぎ倒された六条院の庭の様子が、「見わたせば、山の木どもも吹きなびかして、枝ども多く折れ伏したり。草むらはさらにもいはず、桧皮、瓦、所々の立蔀、透垣などやうのもの乱りがはし」と描写されている。 

「吹とばす石はあさまの野分かな」 

「更科紀行」にある芭蕉の句。芭蕉は、元禄元年(1688年)8月に大垣を出発し木曽路を通り姨捨から善光寺そして碓氷峠から江戸の千住まで旅をした。歌に有名な姥捨の月をみることを目指しての旅であった。ここは棚田があり、その田ごとに月が映じる田毎の月の名所として知られている。

「隈もなき月の光をながむればまづ姨捨の山ぞ恋しき」

西行の和歌。秋の十五夜の月をみると古来から名所として名の知られた姥捨ての山がどうしても想い出される。

 芭蕉は、姥捨て伝説を踏まえ、

「俤や姥ひとり泣く月の友」

と詠んだ。そして善光寺に詣でて、

「月影や四門四宗もただ一つ」

宗教にはいろいろな宗派や教えがあるが、月に照らされた善光寺をみていると、そのような違いを超え、真実はただひとつであることを知ると詠んでいる。

 

「恐ろしき山のとどろき野分けかな」(敬鬼)

 

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