歳晩






 と残すところは一日となった。本年は大病して入院手術し、そして回復したことがわが家の10大ニュースのトップになる。後遺症もほとんどなく通常の生活に戻れたので、家族や主治医に感謝するのみ。救われた命をこれからどう生かすか、これが問題だ。
 テレビでは年忘れの特番が数多く組まれ、放映されているが、これなどは違和感が感じられる。どうして今年という年が忘れられようか。きっと、行く年を惜しみ、また一歩冥土に近づくのをいっとき忘れたいのだろうか。「門松や冥土の旅の一里塚めでたくまりめでたくもなし」。室町時代(15世紀)に生きた一休宗純の狂歌といわれている。

「歳暮とも何ともなしに山の雲」
「占ひのつひにあたらで歳暮れぬ」
  両句とも子規。年の暮れといってもどこも変わったところはない、山の上の雲もいつものようで安らげる。次の句では幸運を呼ばなかった本年をおどけて嘆いている。

「幸まねけ飾りに託する歳の晩」 敬鬼

                           20171230