桜と慈悲



 

 一気に春となった。ここ
10日間、安定した高気圧が優勢となり、連日20度を超す気温が続いたためである。近辺の公園や市民公園の桜は、瞬く間に満開となり、あちらの桜、こちらの桜と、花見に忙しい。

 桜には600ほども種類があり、ソメイヨシノ、エドヒガン、山桜、八重桜そして枝垂れ桜等々である。ソメイヨシノは、江戸末期に染井村(豊島区駒込)の造園師や植木職人がオオシマサクラとエドヒガンを交配させてつくったという。これは挿し木や接ぎ木などで増やせるので、全国に広まった。
 桜を詠んだ俳句も多い。

「観音の大悲の桜咲きにけり」
子規の俳句。満開の桜は仏である観音の大いなる慈悲を表しているようで、それ自体まことに尊く感じられる。植物としての花というよりは霊性あるいは仏性をみている。

「死支度致せ致せと桜哉」
一茶の俳句。桜はなぜか死のイメージを想起させる。散り際がいさぎよく自ずと無常を感じさせるからか。西行が「ねがはくは花のもとにて春死なむそのきさらぎの望月のころ」と詠んだように、桜は観音の慈悲を連想させるからだろう。

「おもむろに精気よびこむ桜かな」 敬鬼

                       2018330