三寒四温


 

 

 2月24日にここ瀬戸でも雪になった。2.24といえば、陸軍将校達のクーデターを昭和時代の戦争へのきっかけを私の年回りでは連想する。今年の2月は日、月、火、水で晴れると決まって天気が崩れ寒くなり、雨、雪が降った。三寒四温という通り、降る、吹く、どんと天候が循環した。それでも、徐々に暖かさが増すのが季節のなせるものと感じられた。寒さは身体には毒で、身体が硬くなり、寒い日は出不精となる。動かないには身体に悪いと思っていても身体が動いてくれないので仕方がない。
 1933年東京生まれの俳人上田五千石は、三寒四温の次のような俳句を詠んだ。1句目は手紙を出した友人の返信がないのでどうしたかと思いやるが、これも温かくなりまた寒くなる日々から発したであろう心持ちを詠む。2句目も思いやる人が故郷にいる母親で四温すなわち四恩を詠む。3句目は寒いことがあってもやがて安らかに心地よくなると信じている境地を詠んでいる

「返信の来ずに三寒四温過ぐ」

「たらちねと呼ばるる汝の四温かな 」

 「三寒ののちの四温を信ずべし

 今年の春先は、喜寿後の年齢のせいか、あるいはコロナ感染拡大のせいか、まことに三寒四温を肌で感じさせる年であった。

朝の陽の三寒四温の肌感かな  敬鬼

                         22年306