師走





 
 
師走に入り、今年も残り30日を切った。この月で金銭の貸し借りの精算をする慣習ががなくなったの、実質的には慌ただしいことは何もないはずだけれども、気ぜわしさを感じるのは何故だろうか。金銭の貸し借りではなく、時間の貸し借りの精算が突きつけられているからだろう。一年を振り返り、時間が提供したものを有意義に消化したのか、あるいは漫然と過ごして時間の借りが残ったのか。もし借りがあれば、まだ残された時間があるので忙そがなければと思うのだろう。

「いそがしく時計の動く師走哉
子規の俳句。師走と聞けば、時計の針さえ速く動くと詠む。同じ1月でも短いのだろう。

「山茶花の咲いてことしも師走かな」
 久保田万太郎の句。冬に咲く花は少ないが、この時期山茶花だけは多くの花をつけ長い時期咲き続けるが、この花が咲き出すと師走が来る。散歩道に見かけるこの樹木はもうたくさんの花を咲かせている。山茶花は師走を告げる花だ。

「能を見て故人に逢ひし師走かな」
 虚子は、師走がこの一年に亡くなった人々を思い出させると言う。とくに死者が主人公の能を観劇するとその感が強まり、故人のまぼろしに逢ったごとくだと詠んだ。

「時の金借りはないかと師走かな」 敬鬼

                           20171203