鶴ヶ城











 宇都宮にいる息子夫婦、孫二人と那須塩原温泉で落ち合い、一晩、温泉に入り夕食を一緒にして孫たちと遊んだ。半年に1回くらいしか会えないが、会う旅に孫の成長を実感し嬉しくなった。
 翌日、戊辰戦争150年というので会津若松を訪れ鶴ヶ城を探訪した。ここは一ヶ月で女や子どもを含めて1300名の戦死者をだした悲劇の城ということだった。大体のことは「八重の桜」というNHK大型時代劇で承知していたが、白虎隊を含め有為の若者が死んでいった悲劇が城内のパネルで説明してあった。それによると、鶴ヶ城は砲撃され、天守は穴だらけの無残な姿となり、明治6年に取り壊された。
 現在の鶴ヶ城は5層の白亜の天守で昭和40年に鉄筋コンクリートで築かれたが、外観は往時のままで、鶴のような美しい形をもつ城だった。

「明日の夜は何国の誰かながむらむなれし御城に残す月影」
これは、落城寸前の九月二十三日に陣中で詠んだ八重の和歌と伝えられている。

「菊の香や悲劇伝える鶴ヶ城」 敬鬼

                         20181022