桃の節句
 

  

 平安時代に公家階層に始まり江戸時代には武家社会で盛んになったと言われる年中行事で、徳川幕府の公式の祝祭日になったと言われる。日本の公家には「ひいな遊び」という幼い女の子の遊びがあり、源氏物語などにも出てくる。江戸時代には、公家の子女が有力大名に嫁ぐときに嫁入り道具として持参し、この風習が裕福な町人にも広がった。

現在、尾張徳川14代慶勝の正室・矩姫が所持した有職雛が展覧され、その気品ある内裏雛および「松竹梅唐草蒔絵雛道具」は80点余りが展示されている。現今、桃の節句には雛飾りが婚家に送られて飾ることが広く広まっている。長女が誕生した最初の桃の節句には、私の父が5段の雛壇飾りを送ってくれて嬉しかったことを喜寿になったからか思い出す。

子規は雛飾りを見て自分には娘がないが実に楽しいと詠む。しかし、句にははかとない思いがにじむ。

「思ひ出に 雛と遊ばん よもすがら」

「雛あらば 娘あらばと 思ひけり」

漱石は娘を5人もち、どの娘を可愛がったのであろうか、次のような俳句を詠んだ。  「二人して雛にかしづく 楽しさよ」

 一男一女に恵まれた私も、父が送ってくれた段飾り、また叔父や叔母の潮汲み日本人形などを目にするとその思いに触れて今でも懐かしむ。


                                             22年3月15日