夕方、男あるじは、脇に大部な本を抱えてあらわれた。
「いつもは文庫本とか新書なのに、いやに分厚い本ではありませんか」と男あるじを見やると、待ってましたとばかりに、「うんうん、お前にも分かったか。これは、いま巷で評判のフランスの経済学者トーマス・ピケティの『21世紀の資本』という書名の本だぞ。これは、あのカール・マルクスの『資本論』にも匹敵するというので21世紀の資本論とも評されている」と解説しだした。
 吾輩はしまったと後悔した。というのも、この解説は長くなりそうだし、吾輩の生き方には何ら関係ないようだし、ましてや景気の動向など全く関心がないからだ。そんな吾輩の思いには無頓着に、
「中国を含めて世界のほとんどの国は資本主義経済をとっているのは知っているな。つまり、資本とは、お金、土地、株、工場などの生産設備、農地などをいい、それらは生産物や利潤を生み出すことができる。この資本は個人や法人が自由に所有できるので自由主義経済ともいわれる。資本を所有するものは資本家で、大きな収益や利潤を得ることができる」と続けた。
 吾輩は、この家は資本家なんだろうかといぶかった。生産に関わる土地、工場などは所有していないし、お金も生活に必要とするものしかないようだ。ましてや、少額の株は別にして企業経営に影響するほどの株など皆無だろう。ということは非資本家だな。吾輩の顔色を見ていた男あるじは、
「そのとおり。わが家はりっぱな非資本家層に属する。つまり何らかの労働を提供し、その見返りとして報酬を給与という形で得て生活しているわけだ。マルクスの定義では正真正銘の労働者階級だ。そこでだ、このピケティの『21世紀の資本』によると、これからはますます給与格差は拡大すると予測されている。もちろん資本家が高額な所得を得て、ますます金太りになると言うのだ。その根拠は、株の配当や利息などの資本から入る収入の割合を資本収益率とすると、それは常に経済成長率を上回るように推移するからだそうだ。資本収益率を(r)、経済成長率を(g)で示すと、r>gが成立する」と地面になにやら書き出した。
 男あるじは往年の講義を思い出したのだろう。けっこう真剣に吾輩相手に説明しだした。「なんでもフランス革命以来の200年以上のデータを分析すると、資本収益率(r)は平均で年に5%程度であるが、経済成長率(g)は1%から2%の範囲で収まっているのだそうだ。つまり経済成長率は賃金など労働報酬と考えても良いので、資本を所有している者の収益は労働報酬より上回ることになり、その結果として所得格差が増大するのだな。つまりだ、資産を多く持つ階層が得る富は、こつこつと働いて得る収入より年々多くなるのだ。これはゆゆしきことで、資産は子孫に相続されるので資産を持つ者は常に豊かな富をもち、逆に資産を持たない無産階層は起業して成功するかあるいは企業のトップに出世しない限り裕福にはなれないということになる」と一息ついた。
 吾輩は、富とか資産とかにはまったく無縁な生活している。雨や寒さを避ける縁の下と一日2回の食があれば生きていける。電気もガスも必要としないし、ましてやお金など使いようがない。究極のシンプルライフだ。でも日々是好日に過ごしていける。金があっても幸せになれるとは限らない。要はどのような生き方が自分にとっては大切かにかかっているのではないですか、と散歩を促すべく男あるじを見やった。

「南天やみなで興じる福笑い」 敬鬼

- 21世紀の資本

徒然随想