徒然随想

- 25回目のテニス旅行

 この家の男あるじ、女あるじそして娘あるじはテニスをたしなむ。それも30有余年もの間ラケットを振りまわしているようだ。この週末、男あるじと女あるじの顔が見えないなと思っていたら、二人してテニス旅行に出かけていた。
 男あるじは、
「今年の晩夏は天候不順で晴れるかどうか心配したが、皆、お精進がよいせいか天気に恵まれテニスを満喫できた。もっとも、寄る年波に勝てずに今日は身体の節々が痛くてかなわないが、まあ、心地よい疲労と言ってよいな」と脳天気にも降り出した雨の中で話し出した。
 吾輩は、男あるじたちはときどきテニス旅行に行くので、またですかと上目遣いに呆れた様子を示すと、
「そうだな、これは命の洗濯だな。ときどき浮き世をしばし離れて、テニス、温泉、宴会と、決まり切った日常を抜け出すことが必要だ。今回のテニス旅行は、ほぼ同じメンバーで今年で25回目となった。つまり、25年前から毎年必ず開催されていることになる。25年前というと1989年になる。この年は昭和から平成に変わった。NHKの大河ドラマは大原麗子主演の春日局、そうそう、昭和の歌姫美空ひばりが死去したな。おもえば、この会でのテニスを長く楽しんできたものだ。聞くところによると物故者も2名いる。こんなにも長く続いたのは毎年世話役をする方々のおかげだ」と男あるじは遠くを見やった。
 吾輩は15歳と半年だから、先代のムツゴロウのときからになる。きっと、男あるじには来し方を思って感慨深いものがあるに違いない。
「そうそう、この会ではテニスの後、温泉で疲れを癒し、そのあとの生ビール、そしてカラオケも楽しみの一つだ。私も、馬鹿の一つ覚えでもある森田公一の『青春時代』を歌って自己陶酔する。もっともすでにビールをしこたま飲んで陶酔しているのだがな。まあ、このあと千昌夫の「北国の春」、あるいは梓みちよの「二人でお酒を」なんぞを興に任せて歌う。まあ、浮き世を忘れていっとき忘我の境地を楽しむわけだ。この会の面々は、教職を生業としている人が多いので、最後はゆく夏を惜しみ、来る新学期の勤務におのれを鼓舞するために、TUBEが歌う『あー夏休みを』熱唱してフィナーレとなる。この歌の最後では『It's all right 泣いたっていいんじゃない 粋な別れに あー夏休み チョイト終わらないでもっとまだまだbaby』と歌われるが、これは夏の終わりに臨んだ参加者の心境にうまくフィットするのだ。もっとも、いまや参加者の大半は定年を迎えている。9月からの新学期で授業をすることは無くなったにもかかわらず、この歌に皆共感している。あり日へのノスタルジアだ」と男あるじは自嘲気味に話し終えた。
 そこへ、女あるじが傘を差して出てきて、
「まあクウちゃん、濡れてしまうじゃないの。お家に入れてあげるわね。2日間もおりこうさんんに留守番していたんだからね。テニス旅行の話を聞かされていたんでしょう。クウちゃんには興味がないわよね。でも、久々に皆が集まって料理を、お酒を、そしてカラオケに興じると楽しいんだよ。今度、クウちゃんも一緒にゆけるといいね」と吾輩のリードをとって玄関に向かった。
 吾輩も日常の決まり切った事から離れて、新たな出会いを楽しむのはやぶさかではない。しかし、所詮居候の身なので、あるじ次第だ。最近ではペット同伴のホテルもあるそうだから、今生の思い出に出かけてみたくなった。でも、やっぱりこの家で、朝寝、朝飯、昼寝、散歩、そして夕飯という暮らしがもっとも性に合っていることを確認するだけになりそうだ。

「赤とんぼ円弧を描く別れかな」 敬鬼