徒然随想

音と音楽
  そろそろ梅雨入りだな。雨が降り続くと、わが輩 も毛の奥の方がべたついてかなわない。きっと、体臭も強まっているだろうな。不思議に、自分の体臭は臭わない。ハッピーちゃんの臭いは、遠くからも感づ くことができるのにな。 
  人間どもも外に出られないので退屈しているらしい。この家の男あるじは、こんなときはきまって、クラシックを聞いている。なんだか調子のよい曲なので、きっとモーツァルトだろう。テレビでも特集番組が組まれているのかな。
  わが輩は、嗅覚と同様に聴覚も優れている。少なくとも人間よりは、6倍くらいの聴覚能力を持つ。因みに、嗅覚は100万倍と言われている。可聴範囲も、人間よりは広く、高音は4万ヘルツまで聞こえる。もっとも猫は、6万ヘルツまで聞こえるので、これには負ける。
  わが輩が、分からないのは、人間どもが楽しむ音楽というものだ。赤ちゃんから年寄りまで、年がら年中音楽を楽しんでいる。わが輩などは、不審な音には耳をそば立てるが、音楽なんぞにはまったく関心がない。うるさいだけである。
こんなことをつらつら思案しながらまどろんでいると、そこに、この家の男あるじが出てきて、わが輩をじっとのぞき込み、しごくもっともな疑問を呈しているなと感心そうに呟いた。そして、
「日本では音楽CDの1年間の総売上枚数は350万枚に昇るそうだ。アメリカでは、それは900万枚を越えるというぞ。いまや、世界中で若者層を中心に人 間は、音楽大好き動物になったといえる」と解説しだした。そんなことはどうでもよいのに、わが輩が知りたいのは、どうして音楽なんぞというものに老いも若 きも人間どもはひかれるのかということだ。
「うーん。それはむずかしいな。太古の人間にも音楽の芽生えはあったらしい。人間は一人一人は弱い存在なので、協力するときにかけ声が必要だった。これが 音楽の起源という人もいる。まあ、労働起源説ともいえる。また、人間が言葉を発するようになったとき、きれいな女の人や鮮やかな夜明けの光景を見て感嘆 し、あーあ、あーと抑揚を着けて声を発した。これは感動起源説とでもいってよいものだな。さらには、人間が他部族と闘うときに、手を打ち丸太を叩いて恐怖 を抑え勇気を鼓吹したり、あるいは女の人に求愛するときに甘い声を出したりしたことからはじまったと言う情動起源説もあるな」
  なるほど、わが輩の先祖である太古の狼の時代にも、一斉に吠えて相手を威嚇しただろうし、また吠え合って自分の居所を他の狼に知らせて獲物を追い詰めただ ろうし、きっと好きなメスに出会ったら、求愛の鳴き声を出しただろうから、これらの説はどれも正しいようにわが輩には思えた。しかし、そうだからといっ て、音楽なんてこうるさい音の連続は考えつきもしなかった。でも、人間はどのようにして音楽を発明したんだろうか。
「その問いももっともだな。そこが、人間と犬の頭の構造の違う点だな」と男あるじはのたまう。
「また、IQか、いつもその手で逃げよる」とわが輩は顔を背けた。
  この世の中から音楽が消えたら、人間どもはどうするのかな。きっと、情動不安定になり、イライラし、トラブルや争いが多発し、そして気力が失せてしまうんだろうな。この点については、わが輩なんぞ、音楽がなくても平気だから気楽なものだ。

  「舞へ舞へ蝸牛 舞はぬものならば
   馬の子や牛の子に蹴ゑさせてん 踏破せてん
   まことに美しく舞うたらば 華の園まで遊ばせん(梁塵秘抄)」