梅雨入りだそうだ。そういえば、曇りがちで蒸し蒸しする天候が続いている。吾輩には憂鬱な季節だ。なにせ脱げない毛皮のコートを着ているので暑苦しくてかなわない。風の通り道を探しては昼寝の場所を変えるのだが、これにも限界がある。吾輩も寄る年波には勝てず、口を大きく息をして身体を冷やすのみなので、けっこう辛い。
 そこへ、いつも脳天気な男あるじが団扇を扇ぎながらやってきて、
「ワールドカップサッカーがはじまった。しばらくはテレビの中継から目が離せないな」とのんきなことをほざいた。
 吾輩はボールを好まない。犬は転げるボールを追いかけ、じゃれるものらしいが、吾輩にはあの回転してやってくるボールが気味悪くて仕方がない。これは物心ついた頃からの吾輩の習性らしい。吾輩もどうしてかはわからない。子犬や子供がボールを嬉々として追いかけているのをみると、どうして怖くないのか不思議に感じてしまう。ボールは吾輩を追いかけたり、脅かしたり、倒したりはしないことはわかっているが、しかし吾輩の眼にはは不気味なもにしか写らない。きっと、これはトラウマなのだろう。わが幼少の頃に手ひどい心的外傷体験をしたらしい。

 そんなことには無頓着に男あるじは、
「この大会は国別対抗戦となっているので、いやが上にもナショナリズムが刺激されるしかけになっている。まあ、代表チームは国の威信や名誉をかけて相手と戦うのだ。サポーターも、純粋にサッカーの妙技を楽しむというよりは国と国との戦いに興奮するようだ」と話し始めた。
 吾輩イヌ族には、国という考え、あるいは思考の枠組みはもっていない。どこの国のイヌでも気に入らないやつは気に入らないし、好きになるやつは好きなのだ。まあ、わが輩たちは究極のコスモポリタンといえる。つまり国家的偏見にとらわれてものを歪んでみることはないのだ。これに反して人間どもは、地球上に勝手に線引きをしてここは俺たちの領土と主張し、お互いにその見解が異なると戦争までする。愚かなことだ。世界で領土を巡る紛争を聞くにつけ、いっそのこと、世界政府をつくり、それぞれの国は地方政府になればよいのにと思わずにはいられない。
 男あるじは、吾輩のこんな思いには気がつかず、
「サポーターは必ずどこかの国にみんな所属しているので、自分たちの国の代表チームをいやが上にも応援せざるを得ない。マスコミもそれをねらってサッカーナショナリズムをかきたてる。サッカーが強い国が1等国というわけで、世界に向かって自慢できる。さて、この大会はオリンピックと異なり、実は賞金が出るのだぞ。2010年の前回の南アフリカ大会では、優勝賞金を3000万ドル(約264000万円)、準優勝のチームには2400万ドル(約211200万円)、グループリーグで敗退しても、800万ドル(約7億円)ももらえるというからびっくりだな」と話し終えた。
 吾輩は、名誉をかけて戦っているのかと思い込んでいたが、そうではないらしい。それにしても、この金はどこから出てくるのか。入場料収入でまかなえるのか。それにしても、国際サッカー連盟(FIFA)はうまいビジネスモデルを考え出したものだ。

「ひまわりやボール追う子に笑みを出し」

徒然随想

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