夏休みがきた、といってもわが輩にではなく近所の子どもたちにだ。わが輩はいつも夏休みのようなものなので夏休みと言っても感慨はわかないが、子どもたちが捕虫網や浮き輪をもってわが輩の前を通り過ぎると、わけもなく嬉しくなる。子どもたちの嬉しさがわが輩にも伝染するらしい。  こんなことをわが庵である縁の下で陽をよけながらぼんやりと考えていたら、男あるじが短パンで手に団扇をもって庭に出てきた。この頃の年寄りは、チジミのシャツとステテコという日本の伝統的な夏スタイルではなく、袖無しTシャツに短パンというのが夏スタイルになっているらしい。
「なになに、夏休みが来たってか。気がつかなかったな。お前と同じで退職すると毎日が夏休みみたいなものだからな。そういえば、子どもの頃は夏休みは楽しみだったことを思い出すな」とつぶやき始めた。わが輩は、いまでも60年も前の子どもの頃の夏休みが思い出されるんですかと目と尻尾で尋ねると、
60年前だろうが100年前だろうが、懐かしいものはよく覚えていられるものだぞ。朝起きて空を見上げると、入道雲がむくむくと湧き上がり、お日様はじりじりと照りつけ、そしてアブラゼミがジージージーと夏の讃歌を奏でていた。さあ今日は何をして遊ぼうか、魚釣りか、プールか、蝉取りか」と遠くの入道雲をみながら話し出した。
  わが輩には、季節ごとの行事というものはないので、時というものはただ変わりなく流れていくだけだ。だから、男あるじのこんな気持ちはわからない。わが輩の気持ちを察したと見えて、男あるじは、
「行事が無くても夏の思い出はあるだろう。夏と言えば何を連想するかな。入道雲、夕立、蝉、トンボ、キリギリス、麦わら帽子、氷水、アイスクリーム、西瓜、白桃などなど。まだあるぞ。盆踊り、花火、海水浴、・・・・。どれも夏を代表するものだぞ。そうそう、吉田拓郎の歌にも『夏休み』がある。これを聞くと、もはややってはこない子ども時代の楽しい夏を思い出させる。歌ってみるか」と男あるじは濁声を張り上げて歌い出した。
「夏が過ぎ 風あざみ だれの憧れにさまよう 青空に残された 私の心は夏もよう。麦わら帽子は もう消えた たんぼの蛙は もう消えた それでも待ってる 夏休み。姉さん先生 もういない きれいな先生 もういない それでも待ってる 夏休み。 絵日記つけてた 夏休み 花火を買ってた 夏休み 指おり待ってた 夏休み。畑のとんぼは どこ行った あの時逃がして あげたのに ひとりで待ってた 夏休み。西瓜を食べてた 夏休み 水まきしたっけ 夏休み ひまわり 夕立 せみの声。」
 わが輩には、麦わら帽子とか向日葵とか、はたまた花火とかきれいな先生と言われても、なんら思い出すことはないから、男あるじに共感しようがない。でも、人生の晩年を迎えた男あるじには、子ども時代の夏休みに強烈な郷愁があることは理解してやらねばと思う。夏祭りをつげる櫓太鼓に胸の高鳴りを覚えることもなくなった今は男あるじは静かにその頃を回想することで心を満たそうというのだろう。
「ふむふむ、お前も私の心模様がだいぶ分かるようになってきたな。井上陽水がそんな夏の思い出を『少年時代』に歌っている。『夢が覚め 夜の中 長い冬が 窓を閉じて 呼びかけたままで 夢はつまり 想い出の後先。夏祭り 宵かがり 胸の高鳴りに合わせて八月は 夢花火 私の心は夏もよう。見事に少年時代の夏を歌にしている」と結んだ。

「夕闇に 胸の高鳴る 盆踊り」 敬鬼

徒然随想

-ああ!夏休み