まいった、まいった、わが輩としたことが熱中症とは。寄る年波には勝てないと言うことか、はたまた今夏の暑さが異常なのか。
「まったくだな。散歩の途中でへたり込んでしまうんだから、私も驚いたぞ」と男あるじもつぶやいた。  わが輩もその時を思い返してみるのだが、あまりはっきりとは覚えていない。なんでも、公園の階段を下りようと23段降りかけたら、突然、目の前が暗くなり、しかも階段の途中でもあるので怖くなりへたり込んだらしい。息はぜいぜいと上がるし、よだれは止まらないし、後ろ足は立たないしで往生した。わが輩に汗腺はないので冷や汗は出ないが、人だったら顔中に汗をふき出していたことだろう。このときは、女あるじもウォーキングとかなんとかで、わが輩の散歩に相伴していたので、さっそくわが輩を抱き上げ、木陰に移して様子を見たらしい。
  それでも、よくしたもので、しばらく横たわっていたらわが輩は後ろ足に力が戻ってきて立ち上がり、よろよろながら歩けるようになった。そしてゆっくりながら歩いてわが家にようように戻ってくることができた。ほんまに、やれやれだった。
 「掛かり付けの動物医によれば、熱中症とのことだった。点滴をして薬を処方して貰った。年寄りなので回復するには1週間くらいかかるらしい。まあ、こんなことですんでよかった。もっとも、おまえは保険がないので、けっこうな治療費がかかったがな」と男あるじは最後に嫌みを付け加えるのを忘れなかった。
  もっとも、わが輩が熱中症にかかったために待遇ががぜん良くなった。とくに、日頃はわが輩を気の向いたときに猫かわいがりするだけで、わが輩の健康など無頓着な娘あるじがことのほか心配し、エアコンの効いた室内に寝かしてくれる。これは快適だ。いまどきのエアコンの送る風は、そよそよとわが輩の身体を冷やしてくれるので、朝寝も昼寝も夜寝もよく眠れる。おかげで力が戻ってきた感じがする。
  こんなわが輩を観察していた男あるじは、
「お前には驚かされるばかりだ。歳の割には元気があるなとみていたが、今回は歳は歳なりで、それなりに老化していることがよくわかった。若ければ、四肢の肉球から汗をかき、浅く速い呼吸で体温調節するのだが、それが難しくなっていたのだろう」とつぶやき、「今回のことは私にも自戒を強いる良い機会となった。私も来年が来れば、そうそうに古希となる。でもその割には身体がよく動くので、テニスやスイミングを楽しめる。平泳ぎならば500mくらいは苦もなく泳げる。でも、お前の熱中症を見て、元気だからと言って調子に乗ってはいけないことがよく分かった。歳は歳なりだ。それなりに私にも老化が進んでいるはずだからな。アンチエイジングなんてことが盛んに喧伝されるが、惑わされないことだ。自戒、自戒」と、いやに男あるじはしおらしい。
  それを側で聞いていた女あるじも、
「そうよ、クウちゃんの熱中症はわが家族にも警鐘と言えるわね。たしか、徒然草にも、牛飼いが売る予定の牛が夜中に突然死し、牛飼いには設け損なって不運だったが、しかし命あるものはいつ何時死ぬかも知れないことを牛の死から教えて貰ったと考えれば、これは損得を越えた貴重な教訓、『存命の喜』を教えているということだったわね。確かに、朝目覚めたときに、今日も生きていたということこそ最大の喜びなのだと思うわ」とこれもしおらしくつぶやいた。
  どうやら、わが輩の熱中症はこの家の者に貴重なる教訓をもたらしたようだが、しかし聞き捨てにできないこともつぶやいていたな。牛の死が『存命の喜』という教訓とかなんとか。わが輩が頓死したら、わが輩の死を嘆くより、これも『存命の喜』とかいう教訓として使われそうだな。

「あぶらぜみ 存命の響き 歌い上げ」 敬鬼

徒然随想

-ああ!熱中症