徒然随想

-相手をするか−
  この家のあるじは、吾輩をときどき強く刺激するために、突然、大きな声を出したり、手をを振り回したり、相撲の四股を踏んだマネをする。うとうととまどろ んでいるのに迷惑この上ない。また、始まったのかと、取り合わないでいると、ますますエスカレートさせてくる。そこで、吾輩は、おおげさに飛び上がった り、しっぽを千切れんばかりに振ってやると満足そうに二階に上がっていく。
 「まあ、クウちゃん、大変ね、よしよし」とカウチに寝そべり、ピーナッツを食べていたこの家の女あるじが、飛び出てくる。娘もそれにつられてやってきて、さも大げさに首などをガードするまねをするが、実際は、吾輩がおおげさに反応するのをいまかいまかと見守っている。
 最近の人間は、他の人からの働きかけに対してしらけていることが多いようだ。いやがらせ、いじめ、からかいなどのは論外であるが、人間同士のコミュニ ケーションを活性化する働きかけには、応じてやる方がよい。吾輩なども、散歩の途中、他の犬が向かってくると、わざと伏せの姿勢をとり、近づくやいなや
「ウウウウゥ、ワン、ワン」と吠えてやる。
 相手は、そのまま、通らせてくれると思っていたのに、いきなり吠えられるのでびっくりし、吠え返してくる。これが、まことに、楽しいのだ。相手の飼い主も笑いながら
「また、クウちゃんの待ち伏せがはじまった」とひとしきり、つきあっていく。この家の主も、この楽しみを覚えたようで、吾輩のマネをし、しらんふりして通り過ぎ、いきなり「ワン!」と言ったりする。
 そこへ、二階にあがっていったはずの男あるじが、また、何やら面白そうなことが起きていると感づいて、降りてきた。そして、
 「人間も犬族も、相手からの働きかけにたいして反応が返らなかったら、つまらないであろうよ。たとえばだな、自分の赤ちゃんや子どもが懸命に働きかけて いるのに、テレビに夢中になっていて、親が反応を返さなければ、そのうちに、働きかけそのものが出てこなくなるだろう。まあ、難しく言うと、自主性が乏し くなり、そのうちに、ひとり遊びしかしなくなる」とのたまう。そして、続けて
「もともと、赤ちゃんには好奇心や身体を動かしたという欲求が備わっている。だから、しきりに目を動かし、興味をひくものを探し、声を出して、それを認知 したことを外に世界に教える。このとき、身近にいる者が、『このワンちゃん、おもしろいね。ほら、こうすればしっぽが動くのよ』と応答してやれば、赤ちゃ んはますます好奇心をかきたてられる。こうして、外に働きかければ、より楽しいことが返ってきて、いっそう面白くなることを体験する。自主性も、積極性 も、そして自分が外に働きかければ良いことがあるという自己効力感を身に付けていく」というわけだと結ぶ。
 吾輩も、退屈なときは、ひとり遊びをし、穴を掘ったり、植木をかじったり、網戸をひっかいたりするが、いっこうに反応が返らないので、すぐあきる。しつこく網戸をひっかくと、さすがの女あるじも、
「網戸を張り替えたばかりなのに、悪い子ね」
とお仕置きがくる。
 人間族の子どもが、テレビゲームに夢中になるのも、きっと、キー操作をすればゲームの中の人物が即座に反応を返すからであろう。閉じられたゲームの世界 の中では、自分が主人公として全能の力をふるえるので、飽きることなく没頭するようだ。現実の世界では働きかけに対して反応がないので、きっとゲームの世 界でそれを代償しているのであろう。 吾輩も、日がな一日、昼寝をしているがいささか退屈である。犬用のテレビゲームを、誰か開発してほしいものだな。
 そういえば、ひと時代前には、子ども同士の遊び歌があったな。それらは、どれもこれも、相手に働きかけ、相手を刺激するものだった。

「だるまさん だるまさん
にらめっこ しましょ わらったら まけよ
アップップ」