あじさいの花が大きくふくらんできた。どうやら、梅雨入りのようだ。わが輩はこの季節が嫌いだ。じめじめと降る雨には真冬の北風よりまいってしまう。北風は縁の下にもぐり込めば防ぐことができるし、風の当たらないところでは陽を浴びて暖まることができる。でも、しとしとぴっちゃんと朝から晩まで、また次の朝まで降るのには閉口だ。これでは、ぬくぬくと朝寝も昼寝もできやしない。こんなときは、フィーンフィーンと声を出すと、女あるじが出てきて家の中に入れてくれる。まあ、家の中も退屈きわまりないが、じめじめした所にいるよりはだいぶんましだ。今朝も、いつやむともしれずに、小雨が降っている。そこへ、男あるじが出てきて、
「今朝も雨か、これじゃおまえも退屈だろうな。朝寝するにも気分がめいるというものだろう。だが、これは恵みの雨でもある。この時期は田植えが行われる。田んぼには水が必要となる。しとしとと絶え間なく降る雨は、植えたばかりの稲の苗を根付かせるのにちょうど良い。また、この時期に降る雨はダム湖にたっぷりと貯水され、夏の渇水期に放水され、田や畑を潤う」と話した。
  なるほど、そういうことか。日本にとっては梅雨時の雨は恵みの雨となるのだな。ということは、この時期に雨が降らないとお米も不作になると言うわけだ。
「そういうことだ。いまから18年前だから1994年のことになるが、平成6年大渇水とよばれるようになった渇水が西日本から関東地方まで広く起きたのだぞ。まだ、おまえさんはこの世に生を受けてはいなかったな。この年は、日本各地で春から雨が少なく、梅雨の時でも平年の半分も雨が降らなかった。降水量が平年の30-70パーセント程度にとどまったという。しかも、まずいことに7月から8月にかけて高温の日々が続いたのだな。その結果、大渇水となってしまった。もちろん、ダムの貯水量が減るので、停電ならぬ断水が起きた。電気が来ないのも困るが、猛暑で水が出ないのも多いに困る。庭への散水、車の洗車などが自粛され、子供たちの大好きなプールが閉鎖されたりしたし、夜間断水が行われたりした」と、男あるじは当時を思い出して語った。
  いまから18年前か、このあるじも壮年期だったのだろうな。もっとも、いまも何を研究しているのか、毎日一応は書斎でいっぱし外国の論文を読んでいるらしいが、しょせんなまけもので楽をしたい性分なので、当時もあたら男盛りを無駄に過ごしていたのだろう。  こんなことをわが輩の眼の動きから察したのか、男あるじは、いっぱしの文化人を気取って「日本の暮らしの中に梅雨は大きな影響を及ぼしてきた。日本の米文化は梅雨があるからといってもよい。この時期にたっぷりと降った水が米を育てる。中国でも上海を中心とした米作地帯では梅雨期がある。中国でもこの時期の雨を梅雨と呼ぶそうだ。芭蕉も、梅雨あるいは五月雨を季語とした俳句を多く詠んでいる。『五月雨のふり残してや光堂』は代表的な俳句だ。この光堂とは、あの中尊寺の金色堂のことだ。雨が降りしきる中で、金色堂だけが雨に霞んだ木立越しに、まるで仏がおわしますように、ぼーと光り輝いて見えるという。その情景が目に浮かぶようだ。『さみだれをあつめてはやし最上川』、『五月雨にかくれぬものや瀬田の橋』も芭蕉の句だ。いずれも、篠つくように降る雨を最上川、あるいは瀬田の唐橋に託して詠んでいて趣がある。この時期に咲く花は、紫陽花、あやめ、くちなし、葵、そうそう、雨の中の路傍に咲くドクダミ(十薬)の真っ白い花も印象的だな。『十薬の花の十字の梅雨入かな(波郷)』という俳句もドクダミの花の白さを雨の中に詠んでいて良い句だ」と結んだ。
  わが輩は、しとしとぴっちゃんのなかで、しばし一句を詠もうと呻吟した。なるほど、雨も良いものかもしれないな。雨を嫌うのではなく雨を楽しむという心境は教えられるものがある。そういえば、『雨に歌えば』というしゃれたアメリカのミュージカルを思い出した。「I'm singin' in the rain  Just singin' in the rain」。ちょっと気恥ずかしいな。

「読み飽きて ふと眼にしたる ひめあじさい」 敬鬼

徒然随想

-紫陽花-