夕方散歩をしていると、わが輩の鼻に、そして眼にも草花の香りや花々が伝わってくる。やはり、この中秋の季節で目立つのは萩の花、桔梗、撫子、そして薄だな。これらは、川の土手、ちょっとした林の小道など、そこここに咲いている。わが輩が歩みを止め、物覚えのためにその草むらにしっこをかけようとしたら、強くリードを引っ張られ、男あるじの濁声がした。「こら、何をするか。それらは秋の七草と呼ばれている草花だ。それにしっこをかけるとは何事か」
  わが輩は、
「何も草花が気に入らないからしっこをかけるのではありません。しっこかけは、イヌの習性に従ってマーキングつもりですから、怒らないで」と眼で答えると、男あるじは、
「そんなことをしたら、お前の尿のアンモニアで枯れてしまうだろう。まったく、何がイヌの習性だ、マーキングだ。そもそも、秋の七草を知っているか。萩(はぎ)、 尾花(おばな)、これはすすきのことだな。それから葛花、撫子、女郎花、それに藤袴の7種類をいう。なんでも、万葉集で山上憶良が、『秋の野に  咲きたる花を指折りかき数ふれば七種の花  萩の花  尾花 葛花  撫子の花  女郎花  また藤袴  朝貌の花』によっているのだそうだ。今から千三百年もまえに編纂された歌集が万葉集だ。それに載っているくらい古くから、日本の秋を代表する草花なんだぞ。仇やおろそかにしてはいけないものだ。撫子といえばなでしこジャパンがすぐにおもいだされるだろう。大和撫子は日本の可憐だけれども心の強い女性の代名詞となっている。もっとも、撫子の花は、うす桃色の花びらが細かく分かれていて大きくて強いと言うよりは小さくて可憐な印象をあたえるものだ。なぜ撫子と名付けられたかというと、あまりにも可憐で可愛いので子どもの頭を撫でるように撫でたいという思いからだそうだぞ」と、わが輩をお座りさせ、長口上をこいた。
  わが輩は、やれやれまたはじまったな。人間も年をとると、小便も大便も、そして何でも長くなるので閉口する。わたしがしっこなんぞを萩の花にかけて悪うございました、としっぽを垂れて謝った。男あるじは、機嫌を直して、
「『芹、なずな、ごぎょう、はこべら、仏の座、すずな、すずしろ、これや七草』と詠まれているだろう。そう、これらはいずれも食用となる。正月七日に食する七草がゆは、これらの野草を炊き込んだもの。春の七草は自然の恵みを食べることで、自然が下さる滋養を頂くことにあるが、秋の七草は食用にはならない。これらはすべて鑑賞する草花だ。つまり、夏が過ぎ、秋となり、やがて冬が来る。行く秋を惜しみ、来る春まで厳しい冬を安穏でいられることを念じながら、秋の七草を鑑賞、いや秋を感傷するというわけだ。野や山に咲く素朴な草花に心情を投影する、まことに日本的な季節の楽しみ、いや風趣といってよい。」と穏やかな口調で夕方の幾分冷たい風の中でささやいた。
  わが輩は、草花の色はわからないが、その葉や花の形は見えるので、花から受ける印象から花の風情はわからんわけではない。それにしても、なでしこジャパンがこの花から引用されていたとは知らなかった。あのたくましい選手のプレーからは、とても撫でたいほど可憐なという印象はもてない。日本の乙女いやいやこれはもはや死語だな、女性は世界のトップに引けをとらないほどに強いということだ。この力をスポーツの世界のみならず、経済や産業、科学技術で発揮されれば日本は再生するだろうにな。

「万葉の 古人が愛でし 萩尾花」敬鬼

徒然随想

-秋の七草