秋の運動会が始まった。朝から行進曲風の音楽が聞こえ、吾輩もおちおち朝寝をしてはいられないなと思っていたら、そこへ、男あるじと女あるじが揃って出てきて、女あるじは、
「これから運動会を見に行ってくるわね。あのケンちゃんがリレーの選手で出場するのよ。家で面倒をみていた頃から足が速いと感じていたが、やっぱりだったわね。クラスの男の子の中でも一番速いんだって。ケンちゃんのママが自慢していた」と話して、出かけていった。吾輩は、「やれやれだな、これで朝寝と午睡を邪魔されずにすんだ」と日陰に丸くなって目を閉じた。
 どれくらい経っただろうか、ふと目を開けるとそこに男あるじが立っていて、吾輩にカメラを向けていた。吾輩はカメラが嫌いだ。あの光る筒先を向けられると身体の中を見透かされそうで気持ちが悪い。それを避けるために顔を背けたり首を回したりすると、男あるじの構えるカメラも吾輩について回るのでうっとうしくてならない。
「なんでじっとしていないのだ。せっかく、老犬の老顔を撮しておこうとするのに、抵抗するな。老け顔も記録しておくのも悪いものじゃないぞ。年齢を重ねたら自分の顔に自信をもたねばならんのだぞ」と男あるじは大声で怒鳴った。
 吾輩はなんのことかさっぱり理解できなかったが、どうやら運動会から帰ってきたらしい。カメラをもっていると言うことは、ケンちゃんの走る勇姿を撮ってきたのだろう。そこで、運動会は楽しかったですかと眼で問うと、
「秋晴れのもと、子どもたちが精一杯、走り、跳び、そして競うのを見るのは楽しいものだ。思わず飛び入りでも参加してみたくなった。徒競走、玉転がし、二人三脚、障害物競走、玉入れ、騎馬戦、組体操、白赤に分かれての応援合戦、そして最後はリレー競争だったな。これらは運動会の定番だな。こんな運動会は日本独特のものだと言うことだぞ。つまり、これはプログラムにそって学校全体が競技や演技を行う学校行事だな。誰が発案したのかはわからないが、明治時代にはすでに小中学校で行われていた。記録によれば、1878年札幌農学校で「力芸会」が開催、その後数年で北海道内の小中学校に広がった」と話した。
 吾輩は、徒競走なら人間どもには負けない。きっとイヌの仲間の中でも速いほうだと自負している。なんせ吾輩の足は長く細く、じつに優美だからだ。太くて長い尻尾を旗のごとくに屹立させて走る姿はきっとほれぼれする姿だろうとうっとりしていたら、男あるじが頭をこつんと叩いたので正気に還った。
「運動会はプログラム通りに進んで、5年生と6年生による組体操がはじまった。5人一組で扇を開いた型をつくったりした後で、最後には人間ピラッミドが組まれた。中央にはなんと7段のピラミッドが造られ最後の一人はその上で立つことができた。やんやの喝采でその頑張りに皆が応えた。いよいよ最後の出し物の紅白リレー競争が行われた。クシコス郵便馬車の思わず駆けたくなるテンポの良い音楽が奏でだし、1年生の走者がスタートラインについて号砲を合図に走り出した。ケンちゃんは2年生の白組代表で、2番でにバトンを受け、一人を抜いてトップでバトンを引き渡した。3年生、4年生そして6年生の走者にリレーされ、ケンちゃんの組は一位を維持したままゴールに飛び込んだ。割れるような喝采をうけた。今年の運動会のフィナーレを飾る出し物だったぞ」と男あるじは自分の小学校時代を思いやるかのように紅葉がはじまった遠くの山に目を移した。

「子どもらの駆ける響きや金木犀」 敬鬼

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徒然随想