今日から4月だそうだ。男あるじがやってきて女あるじを相手に盛んに新年度がどうのこうのとか、新学期になったとか話していた。日本の学校では学年が変わるのも41日だし、行政の年度も41日を起点にしてすべての行事が運用されるという。これには吾輩もどうのこうのいちゃもんをつけることはない。11日と同じように、人間が自分たちの都合で勝手に新年とか新年度とか区切っているだけなので、年がら年中のっぺりと区切りもケジメもなく過ごしている吾輩にはどうということもないものだ。でも、新年とか新年度とかがないと、同月同日に起きたことがいつの日月だったか特定が難しくややこしいだろうなとは思う。365日×3倍前の同月同日なんてしか過去を特定できなくなるので、これは大いに不便だろう。その点、西暦は年号が一つで運用されているので、どのくらい前かを計算するのは容易だ。この家の男あるじや女あるじは、昭和に生まれ平成を生きているので、終戦の年である昭和20年が今から何年前かを計算するのには、昭和が何年まで続いたかを知っていなければならないので一苦労だ。
 男あるじは、吾輩のこのような考えを察したと見えて、「その通りだな。西暦は通し番号のようなものなので何かと扱いやすい。しかし、時代を特徴付けるもので区切るという作業をするには、数字が加算されているだけなので特徴付けがやっかいだ。強いて言えば16世紀はとか18世紀はとかで表すしかない。でも日本のような年号があれば明治時代とか大正時代とかで、その時代を特徴付けることが可能になる」と話し出した。そして、
「こんな俳句があるぞ。『降る雪や明治は遠くなりにけり』。これは中村草田男の句で、昭和6年に作句されている。つまり、明治が終わり大正時代も終わった昭和に入って作句されたものだな。大学生の草田男が母校の小学校に降る雪を見ての感慨だとされている。俳句の中の『明治』という語句で、幕藩体制を一新し富国強兵のもとに一等国にのしあがった時代の特徴を簡潔に表している。これが『降る雪や20世紀初頭は遠くなりにけり』では時代の特徴が表し得ない。大正時代もモダンボーイやモダンガールがモボ、モガといわれてその生活をいっとき享受していた。これが大正ロマンといわれたが、これも年号をうまく利用して命名したものだな。昭和の時代はあまりにも激動の時代だったので一言では特徴付けられない。破滅と再生を経験した時代だったからだ」と結んだ。
 吾輩は、平成9年に生を受け平成時代のまっただ中を生きてきたので、男あるじがいわんとするところはよく理解できる。吾輩が生きた平成の時代は高度成長が終焉し、なんとかして転がり落ちないように踏ん張ってきた時代といえよう。すると、突然、男あるじが、
「エイプリルフールって知っているか。四月馬鹿といわれるが、これは41日はうそをついても許される日になっていて、それを知っていてだまされる人を四月馬鹿と言うんだぞ。いわれは何かてか。それは、起源はいくつかあるそうだが、有力なのは次のような説があるそうだ。その昔、ヨーロッパでは325日を新年とし331日までを祝っていたのだそうだ。1564年にフランスのシャルル9世が11日を新年とする暦を採用し、これに反発した人々が、41日を「嘘の新年」とし、馬鹿騒ぎをはじめた。シャルル9世はこの騒ぎに対して憤慨し、町で「嘘の新年」を祝っていた人々を捕らえて処刑したんだそうだ。まだ13歳だった少女までも含まれていたという。フランスの人々は、非情な王への抗議と、この事件を忘れないために、その後も毎年41日になると盛大に「嘘の新年」を続けているのだそうだ。これが世界中に広まったという。なんとも悲しい事実がエイプリルフールには隠されているんだな」と話し終えた。
 吾輩は、時代を区切るというのは、その時代に生きる人々の思いもあるので、ともすると、悲劇を生むこともあるものなんだなと感じた。

「五十年は昨日のことよ桜咲く」 敬鬼

- エイプリルフール

徒然随想