いよいよ今年も押し詰まったようだ。男あるじも女あるじもなにかしらんそわそわしている。きっと、世間の皆様が気ぜわしい様子に自分たちも同調させてしまっているのだろう。その点、吾輩はそんな世間の気ぜわしさに惑わされることもなく、生活のいつものリズムを守り平穏だ。でも、吾輩の点滴であるこの家の孫が戻ってくるらしいので安穏としては居られない。なにせ、吾輩は邪険にされ、家の中から庭に追い出されてしまうのだ。吾輩がこの大事な孫を嚙んだり、蹴飛ばしたり、転ばしたりすることを危惧するかららしい。人間どもは吾輩イヌたちの忠実さをちっともわかっていない。なかには、乱暴したり噛みついたりする不届きなものもいる。だからといって、皆が乱暴狼藉を働くのではない。これは人間どもにも当てはまることだ。このときばかりは吾輩は庭で力一杯吠えることでこのいまいましさを世間に知らしめる こんなことを考えていたら、ほんとにこの家の息子と孫が午後にマニラからご帰還になったから驚きだ。さっそく、吾輩は冬の曇り空だというのにお外に出されてしまった。こうなったら、ワンワン、キャンキャン、グエグエー、ウーウーとあらん限りの吠え方で吠え鬱憤晴らしをした。
 しばらくして吠えつかれたので庭から家の中を探ると、女あるじが素っ頓狂な声で、
「まあ、てっちゃん、よく来たね。今年は帰国しないと聞いていたのでびっくりだわ。でも、日本は寒いでしょう。ほらほら、抱っこすれば暖かくなるよ。さあ、抱っこ」と聞いていて恥ずかしくなるようなはしゃぎぶりだ。男あるじも、これには負けられんとばかり、「さあ、二階であそうぼう」と抱っこしている孫の手を引っ張り出した。相も変わらず強引なお誘いだ。孫もこれには辟易したとみえて、パパに助けを求めだした。それにしても、平穏な光景だ。そこへ、孫から愛想を尽かされた男あるじが庭に出てきて、
「『朋あり遠方より来る、また楽しからずや』ということだ。それが身内であり、しかも息子や孫であればなおさらのことだぞ。いつも顔をつきあわせているお前とは、その喜びが格段に異なるのだから、お前もその辺を汲んで、吠えたり泣きわめいたりせずに我慢しろ」と諭すようにつぶやいた。
 吾輩もその辺のことは分かるつもりだが、このようにあからさまに差別されると一吠え挙げたくなったわけだ。男あるじは続けて、
「生きていく上で楽しみや喜びはいろいろあるが、自分の子や孫と再会することは最高の楽しみなのだ。ふだん一緒に暮らしては居ないので、年に数回しか会わないのだからな。ましてや、外国に住まいすると、それこそ年に1回くらいしか会えない。息子とは正月以来の1年ぶり再会なのだ。このぶんだと、お前はあと1回くらいしか会えないのだぞ」と最後におきまりの嫌みで締めくくった。
 吾輩は、それをそっくり男あるじにお返しした。男あるじが男の平均寿命まであと10年とすれば、年に1回ならば再会回数は10回くらいしかないし、2回としても20回くらいしか会えないのだ。1回に3日として30日から60日の間になる。こう考えれば、この家の者が、息子や孫のご帰還で欣喜雀躍するのも当然だな。吾輩イヌ族には、家族の絆を人間どもによって断ち切られているので、家族再会の喜びはない。もし、われわれが集団をつくって暮らしていたならば、こんな喜びもあっただろうにと思うと切なくなる。仕方がないので、もう少し吠えたろうか。ウーウーキャンキャン。

「孫が来て婆と遊ぶや年の暮れ」 敬具

- 今年もあと三日-

徒然随想