台風がやってくるらしい。ようやく、日中も過ごしやすくなり、朝寝にはもってこいの季節が到来したのに、台風は願い下げだ。でも、台風が日本列島に来る頃は、もう、夏が終わり、秋が直ぐそこまで来ているということだ。猛暑、炎暑あるいは酷暑と嫌われる夏、でもそれが終わるかと思うと、わが輩も名残惜しい。こんなことを問いつ問われつ思い巡らしていると、洗濯物を抱えて女あるじが庭に出てきた。「クウちゃん、ようやく、過ごしやすい気候になってきたわね。朝寝が一段と気持ちよいでしょう」とわが輩の頭を撫でる。わが輩は、子どもじゃあるまいし、頭なぞ撫でてなんぞ欲しくはないが、そこは囲われの身、尾っぽで愛嬌を振りまく。人間は、わが輩が見るところ、単純な感情しかもっていないので、『あなたが命』なんてことを全身で示してやれば、こちらの意のままにあやつれる。そんなことを思っているとは露知らずに、女あるじは、
「クウちゃんも感じているとおりだわ。いつしか、油蝉からツクツクボウシの鳴き声の方が多くなってきたし、向日葵からコスモスが花咲こうとしているわね。巡る巡る季節は巡るといったところね」と今日はしおらしい。これも、台風が近づいているせいか。
 そこへ、男あるじが所在なげに出てくる。最近は大学に出講することも少なくなったせいか、わが輩と同様にぐだらぐだらとだらけているようだ。
「なにやらおセンチになっているようだな。去りゆく夏は人をセンチメンタルにする。これが冬の終わり、晩冬とならば、こうも感慨は湧かないだろう。厳しい冬が終わり待ち望んだ春が近いと感じるからだろうな。晩春は、清明(4月5日ごろ)から立夏の前日(5月5日ごろ)までをさす季語だな。晩春と言えば、小津安二郎監督、原節子主演による映画「晩春」がある。これは、妻を亡くした父と娘の物語で、娘を嫁に出す父の思いと父を残して嫁ぐ娘の心情とが、古風ながら愛惜豊かに描かれていたな。春の終わりと夏の訪れにこの父と娘の心情を代弁させたのだよ。この映画の封切りは1949年(昭和24年)だから、いまや日本映画のクラシックといったところだ」と脱線気味に男あるじは話す。女あるじは、これに辟易したのか、あるいは洗濯物を干し終わったのか、いつのまにかいなくなっていた。
「ついでに、晩夏は小暑(7月7日ごろ)から立秋の前日(8月7日ごろ)までをいう季語だ。もちろん、晩秋もある。寒露(10月8日ごろ)から立冬の前日までをいう」と男あるじは、どこでしらべたか知らぬが、多分、ネットで検索したのだろうか、講釈を垂れた。それにしても、わが輩には、寒い、暖かい、暑い、涼しいの4季節しかないが、人間どもは、春夏秋冬をさらに3等分し、季節を味わっているらしい。初春、仲春、晩春、あるいは初夏、仲夏、晩夏といったようになるようだ。男あるじは、続けて、
「晩春、晩夏、晩秋、晩冬のなかで、やっぱり晩夏がもっとも名残惜しいな。なぜだろうな。きっと、生の盛りが過ぎることを晩夏に感じるのだろうな。夏は生きとし生きるものの精力が横溢している。きっと、夏の暑さで体温が上昇し活動的になるからかな。そして夏の終わり、生の営みが静穏となり、落ち着きを取り戻す。この生の熱気は来年まで戻ってはこない。これが名残惜しい晩夏となるのだろうな。TUBEも『あー夏休み』で『あー夏休み、チョット終わらないで、もっとまだまだbaby』と歌っていたっけな」と太陽をまぶしそうに仰いだ。

「子どもらが あー夏休みと 駆けてゆく」 敬鬼

徒然随想

-晩夏−