徒然随想

-晩酌

  日が暮れるのが早くなった。男あるじに付き合って少し長い散歩から戻ると、もう薄暗い。西の空には沈んだ太陽の残照のように薄くあかね雲となって水平に残っている。さすがに、わが輩も侘びしさを感じるので、ひとりわが庵に取り残されるのは好まない。そこで、ワンワンと吠えると、慌ただしく女あるじがやってきてわが輩を家の中に入れてくれる。春の夕暮れにはこんな感じはしなく外の外気に触れている方が暖かく気持ちがよいが、秋の夕暮れは風も冷たく縁の下にうずくまるのも厭われる。春はこれから暖かくなるという明るく開けた気分があるが、秋は木枯らしが吹き寒くなるという堪え忍ぶ季節の到来だと感じるからだろ。
  家の中では、男あるじ、女あるじ、そして珍しく娘あるじも、鍋を囲んで夕食をとっていた。わが輩も夕飯にお相伴すべくワンワンと吠えて催促すると、娘あるじが卵ボールというわが輩の好物を取り出して投げてよこした。わが輩は小さな転がるボールを追いかけてそれを食するのだ。これがけっこう楽しい。家の者も食事の余興とばかりに興じているので、わが輩はおおげさに小さなお菓子を追いかけ、ときには転んで見せたりしていっぱしのエンターテイナーになった気分を楽しんだ。
  男あるじは、日本酒らしいものを飲みながら、
「秋は日本酒がうまいな。熱燗で飲むと、五臓六腑にしみわたるようだ。寄せ鍋の具である魚の身をほぐしながら、お猪口でぐいっと飲むとこのうえなく美味だ。魚もおいしいし、酒も甘露だ」などとつぶやきながら、飲んでは食べている。せっかくダイエットしたのにこれでは台無しだなとわが輩は上目遣いに男あるじを見たら、眼があってしまった。
「なになに、もっとつましく食べろってか。やかましい。気持ちよく、酒と肴を楽しんでいるのに、お節介なイヌだ」とまくし立てた。きっと、本人も気にしながら食していたのに、ずばりと言い当てたので怒り出したようだ。わが輩も、せっかくいい気分のときに余計なことをしたと反省していると、男あるじは、蛮声を張り上げ「『白玉の 歯にしみとほる 秋の夜の 酒は静かに 飲むべかりけり』だ。わかったか、酒というのはにぎにぎしく、また騒がしく飲むものではないのだぞ。これは酒仙の歌人とも吟遊詩人ともいわれた若山牧水の短歌だ。酒はひとり静かに飲んでいると、来し方のこと、これからのことなどがいろいろ思い出されて一段と趣が涌くものだといっている。こんな短歌も詠んでいる。『酒飲めば 心なごみて なみだのみ かなしく頬を 流るるは何ぞ』。これを泣き上戸というと身も蓋もなくなってしまう。酒は心の憂さの捨て所ではなく、牧水にとっては心を和ませてくれるものなのだな。それまで鬱々としていたものが酒の力で溶けていき、涙となって流れ去る。涙は悲しみや哀しみを洗い流してくれるものだ。牧水は、いまでいうと自然をこよなく愛した詩人で、とくに沼津の千本松原を気に入り、沼津に居を構え、そこで亡くなった。『幾山河 越えさり行かば 寂しさの終てな む国ぞ今日も旅行く』。これは、牧水の短歌の原点ともいわれるものだな。寂しさの無いところがどこかにあると願い訪ね歩いたが、そんなところはまだ見つけることができない。どこにもなさそうだがしかしきっとどこかにあると信じてわたしは訪ね歩くと詠っている。」
  わが輩は、酒という代物を飲んだことがないので、こんな酒の力は分からない。でも、わが輩には悲しみや哀しみが無いので、きっと酒を飲んでもふらふらするだけでこんな気持ちにはならないだろう。わが輩こそ寂しさの果てたところにいるのかも知れないな。

「熱燗や 鍋を囲めば 秋深し」 敬鬼