徒然随想

      盆踊り

 もう秋が近いのだろうな。夕方も7時頃になると薄暗くなってくる。今晩は、近所で盆踊りがはじまった。盛夏から晩夏へと時は進んでいくようだ。こんなことを感傷的に思っていたら、男あるじが、盆踊りにゆくぞとわが輩を連れ出した。わが輩も久しぶりなので、しっぽを風を起こすくらいに振ってついていくことにした。何でも、団地の地域交流センターの中庭で自治会主催で行われているらしい。会場に近づくにつれて、あの炭坑節が太鼓と伴に賑やかに聞こえてきた。
「月が出た出た 月が出た(ヨイヨイ) 三池炭坑の 上に出た  あまり煙突が 高いので さぞやお月さん けむたかろ(サノヨイヨイ)」
 みなさんにお馴染みの盆踊り歌である。わが輩も調子にあわせてしっぽを振る。すると、男主は、炭坑節の2番を知っているかと尋ねてきた。一番は有名なので誰でも知っているが、はて、何だったかなと思い出していると、男あるじは調子っぱづれに、
「あなたがその気で 云うのなら(ヨイヨイ) 思い切ります 別れます もとの娘の 十八に 返してくれたら 別れます(サノヨイヨイ)」と歌い出した。歌詞をよく聴いてみると、なかなかに小粋なものである。「さぞやお月さん けむたかろ」なんて歌詞よりよっぽど艶があるな。
 会場では綿飴、リンゴ飴、焼きトウモロコシ、焼きイカなどの夜店が出ていて、浴衣を着せられて子どもたちやその親たちで賑わっている。これも夏の風物詩で欠かせない行事だ。  男あるじは、物知り顔に講釈を始める。
「盆踊りがいつから始まったか知っているか。けっこう、古い起源をもつのだぞ。『盆』というからには、仏教行事の盂蘭盆会と関係している。先祖がお盆の間にその家に帰ってくるので、12日に迎え火(かんば)をたいてお迎えし、追善供養して、16日に送り火でお送りする一連の行事を言う。わが輩などは、子どもの頃、仏壇磨きを祖母にやらされたものだ。仏壇にはあるお位牌、燭台、線香立て、鉦、そして木魚まで、それを全部出してほこりを払い、磨くのだよ。ご先祖様が気持ちよく過ごせるようにとの心遣いだ。盆踊りは、このご先祖様を供養するために行われた。平安時代から続けられているそうだ。念仏踊りが、盂蘭盆の行事と結びつき、死者を供養するための行事になっていったのだな。盆踊りは、いまは、学校の校庭、公民館の中庭などで行われるが、昔は寺院や神社の敷地でおこなわれた。小さい頃は、近くの神社の境内の盆踊りに、兄弟打ち揃って出かけ、あの娘も来ているといいなと胸ときめかせたものだ」
 なんだ、罰当たりものめ。神聖な行事にかこつけて胸ときめかせるなんて。
「まあ、そういうな。子どもというものは、神聖な仏教行事なんてことはわからないから、この時ばかりは、公認で夜遊びができる。しかも、夜店もあり、かわいい娘も出かけている。これで胸ときめかせなんだら、子どもじゃない」とのたまった。
 わが輩たちの犬仲間は、みな、一代限りと思っているので、ご先祖様を祀ることはしない。一生は一代、この世限りで、前世も来世もない。もちろん、子孫は残し繁栄も願うし、おとうやおっかあのこの世での安穏な暮らしも願うが、死んだ後までも祀ることはしない。これに較べると、人間どもは、現世ばかりでなく、来世の幸せまでも欲する欲張りな生きもののようだ。

 あれこれ無駄話をしているうちに、盆踊りは佳境に入り、木曽節がかかっている。炭坑節に較べれば、ゆったりとして踊りやすい感じだな。
『木曽のナー 中乗りさん 木曽の御岳(おんたけ)さんは ナンジャラホーイ 夏でも寒い ヨイヨイヨイ ハー ヨイヨイヨイノ ヨイヨイヨイ』
男あるじも、しんみりと、
 「日本の夏は、815日が太平洋戦争の終戦日なので、とくに、ご先祖様を追悼することが深くなった。徴兵された兵士、爆撃や原爆で被災した多くの人たちが、無念の思いで死んでいった。日本のほとんどの家族の身内から戦死者や犠牲者が出たので、その霊を慰める気持ちがこのお盆の季節には強く出るのだよ」
 まるで浮かれているような盆踊りにも、深い歴史が刻まれているのだな。まあ、日本人の心の元型が、盆踊りという形になって現れてきているようだ。

「盆歌に風も調子をあわせけり」 敬鬼