朝晩はようやく冷涼な空気に満たされるようになった。わが輩も敷物の上に身を丸めないと、ゾクッとくる感じだ。秋の彼岸から3週間余、ようやく中秋の候を迎えたようだ。秋は食欲の秋、読書の秋だそうだが、わが輩にはどちらも関係ない。食べるものはきまって、朝晩共にあの乾燥し無味なドライフッドだからだ。ときどき、ビーフジャーキーらしきものが混じる程度だから、その貧弱さといったら言いようがない。せめて、一週間に一度でも、肉汁がたっぷりの牛肉缶詰でも食したいと思うが、この家の女あるじはがんとして聞き入れてくれない。そういうものは健康に悪いのだそうだ。女あるじの口癖は、「クウちゃんにはできるだけ長生きしてもらわないとね。私も寄る年波だから次はもう飼えないわ。おいしいものは脂肪分が多いから健康に良くないの。そういうわけだから、完全栄養のドッグフッドでがまんしてね」だ。
  なんと言うことだ。これでは何のために生きているのかわからないではないか。イヌもパンのみにて生きるわけではないが、パンがなければ生きてはいけない。おいしいパンならばなおさら生きる欲望も高まるというのに。
  そこへ、男あるじも暇を抱えてやってきた。そして、
「第一の事を案じ定めることが大事なのだぞ。生きながらえるためには食べるものは二の次でよいのだ。兼好法師も徒然草の一八八段でこんなふうに教え諭している。『されば、一生のうち、むねとあらまほしからむことの中に、いずれかまさるとよく思ひくらべて、第一の事を案じ定めて、その外は思ひすてて、一事をはげむべし。一日の中、一時の中にも、あまたのことの来たらむなかに、少しも益のまさらむことをいとなみて、その外をばうちすてて、大事をいそぐべきなり。何方をもすてじと心にとりもちては、一事もなるべからず』だそうだ。つまりだな、その日、自分にとって何が一番大事かを考え、それ以外のことは捨ててしまう事が肝要だといっている。おまえは欲張りだから、おいしいものも食べたい、かわい子ちゃんの匂いも追いたい、散歩にも行きたいとあれもこれも望むが、これは慎まなければならない。長生きすることが第一の大事と定め、それ以外のことは諦めることだな」とのたもうた。
 なにをぬかすか、このお説教をそっくり男あるじにお返ししたいものだ。男あるじこそ、何が第一の大事かを決めかね、毎日を欲望のままに過ごしているではないか。秋だなサンマがうまい季節だとか、そろそろ新米、新酒が出る頃だなとか舌舐めづりをしているのはいったいどなた様なのか。兼好法師も、『一日の中、一時の中にも、あまたのことの来たらむなかに、少しも益のまさらむことをいとなみて、その外をばうちすてて、大事をいそぐべきなり』と教えているのではないか。「一日の一大事がサンマとは、情けなし」と眼で訴えると、男あるじは、痛いところを突かれたと見えて真っ赤になりながら、
「なにをいうか、一日の一大事をすませ、その日の終わりに臨んで、サンマを食し英気を養おうというのがわからんか。これが明日の糧となり、また明日の一大事に臨むことができるのだ」と強弁した。
  わが輩は、男あるじの一大事が何かは知らないし、一日一日を過ごすに際して、大事なことを選び、そうではないことを捨てるように努めているのかもしれない。思うに、『第一の事を案じ定め』て生きることは難しことのようだ。ともすれば、大事は後回しにするし、易きに流れるし、卑近な利益に眩まされる。わが輩を顧み、何が一大事かを考えてみると、一日を無事に平穏に過ごすこと以外には思い浮かばない。『日々是好日』がわが輩の一大事と定めたい。

「里の萩 薄と幽艶 競いあうか」 敬鬼

徒然随想

-第一の事を案じ定める