徒然随想

- 大寒-

 「今日は大寒だ。道理で寒いわけだ。暦の24節気のひとつだ。この後は立春となるぞ。寒いのももう少しの辛抱だ。お互いに歳を取ると寒いのは辛いものだな」と朝早く、吾輩がまだ寝ているのに、朝散歩のためにやってきて男あるじはぼやいた。吾輩は、寒い朝はお天道様が出て暖かくなるまで、朝寝をしていたいのにリードを付けて無理矢理と起こしたので、吾輩もむっとして一声吠えてやった。男あるじは、吾輩の抵抗にこれもむっとしたらしく蹴飛ばそうとしたが、折良く女あるじがやってきたので足を上げたまま、決まり悪そうに頭を搔いた。吾輩を蹴っ飛ばそうものならば、女あるじが烈火のごとく怒り、動物虐待とかでえんえんと「なにしてくれるねん、かわいい大事なクウちゃんに、警察を呼ぶよ」と浪花ことばならぬやくざ言葉で男あるじへの難詰が始まるので、男あるじも女あるじの前では吾輩には足を出せないのだ。やれやれ、朝からとんだ仕儀だな。どれ、無益な抵抗を抑えて、家内平穏のために寒さをこらえて散歩に出かけるとするか。 吾輩は、男あるじの機嫌を取るために、「大寒というのはなんざんすか」ときいてやった。男あるじは、訊かれると悪い気はしないようで、「そんなことも知らないのか、どれどれ教えてやろう」という態度を取る。教師家業のさがが抜けないようだ。
「大寒は冬至と春分の間を6等分し、冬至から数えて2番目の節句、すなわち小寒、大寒で、続いて立春となる。この後は雨水、啓蟄、春分と区切られるわけだ。肌で感じる季節を節句で表すなんて趣があるだろう。誰が言い表したのか分からないが、その時節の季節感を言い得て妙と言える」と男あるじは話し出した。
 吾輩も、大寒と聞けば一年中でもっとも寒い時期とわかって便利がいいと感じた。小寒、大寒そして立春か、今年は思いの外に寒いので春立ちぬが待ち遠しい。朝の散歩でも夕方の散歩でも木枯らしに追い立てられるように歩くのは侘びしいもので、暖かい陽射しを浴びながらゆっくりとあちらこちらを嗅ぎまわりながら歩きたいものだ。男あるじも、
「まったくだ。毛糸の帽子に風よけの防寒具を身に纏っていても下から吹き上げられると、ぶるぶるとくる。もう、こんなのは御免被りたいものだな。ところで、72候というのを知っているか。これは節句の期間を3等分したもので、大寒の期間ならば大体2週間を初候、次候、末候に3等分し、それぞれに款冬華(ふきのはな さく)、水沢腹堅(さわみず こおりつめる)、 鶏始乳(にわとり はじめて とやにつく)と名づけたものだ。意味するところは、順に、『蕗の薹(ふきのとう)が蕾を出す』、 『沢に氷が厚く張りつめる』、 『鶏が卵を産み始める』という意味だそうだ。中国の暦法からとっている。時候の移り変わりを象徴的に言い表しているらしい。立春の初候、次候、末候をみるとその感が強くなる。順に東風解凍つまり東風が厚い氷を解かし始めること、黄鶯睍睆、鶯が山里で鳴き始めること、そして魚上氷、割れた氷の間から魚が飛び出ること、をそれぞれ指すぞ。厚い氷が溶けるとか、鴬が鳴くとか、なかなかに自然をよく観察し、命名している。もっとも、中国から由来したもので、中国でもほとんど同じ言い方をする」と続けた。
 吾輩は、季節と時候の変化は肌で直感するので、どういうように言い表すかは関心が無い。気温が暑いか、寒いか、程よいか、風が冷たいか、温いか、気持ちよいか、湿り気がじめじめか、からからか、爽やかか、の3要素でしか感知しないので、これらを組み合わせても9通りだから、言い表すこともない。それにしてもだ、早く来い来いお正月じゃなくて、春よ早く来い来いだ。

「顔つきが窄まりそうな大寒かな」 敬鬼