3日ほど男あるじも女あるじも留守にしていたが、ようやくご帰還になった。吾輩は男あるじたちが居ないと吾が天下なので極楽極楽で安気に過ごせる。なにせ、娘あるじは吾輩の子分のようなものなので、吾輩は好き放題ができるというものだ。昼から家の中で気ままに振る舞える。女あるじのベッドで昼寝をしたり、居間で駆け回ったり、お菓子のたまごボーロを娘あるじに投げさせ、それを探して食ったりと楽しめる。でも男あるじが家に家にいると、犬もお日様にに当てなければと訳のわからないことを言ってすぐに庭に出されるので困る。 そこでどちらへ行ってたんですかとそれとなく目で尋ねると、男あるじは、
「うん、それはだな、わたしの叔母が亡くなったからだ。母の妹に当たる人だ。行年96歳だから、大往生といえるな。」としんみりと答えた。吾輩は、
「それはそれは残念でしたね。96年も生きたのでもう年には不足はないでしょう」と目で語ると、男あるじは
「それはそうだ、わたしがその年まではとうてい生きられないからな。それでも身内としてはいつまでも生きていて欲しいと願うものだから、残念だ。最近はなんだかんだと理由を付けて会いに行かなかったので悔やまれる。この叔母にはわたしが幼少の頃からずいぶんと可愛がってもらった。1歳上の従兄弟がいたことも親しみを増させた。母とは違って叔母には甘えられるものだった。なんというか叔母の効用というか、なんでも話せる存在だったし、うんうんと話を聞いてくれたし、ご馳走してもくれたものだ」と応じた。
 吾輩は、自分も16年も生きているので、人間の歳に換算すると96歳となる。吾輩もそろそろ極楽への道を考えねばならないのだが、足腰は達者なのでついついそれをおろそかにしている。男あるじもこれには同感だと見えて、
「往生とは仏教の教えで、人間が仏の国である極楽に生まれ変わることを言う。死後の世界には地獄も想定されているので、生前に悪業をなしたまま死んでしまうと、地獄に落とされてしまう。もっとも、死の瞬間に改心して佛に帰依し、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏と唱えれば、佛が救済して極楽に行けるそうだ。『善人なおもて往生す、いわんや悪人をや』と主導したのは親鸞だ。悪人正機説といって他力本願の真髄を表している。もっとも親鸞はすべての凡夫は悪人だとみなしている。だから、極楽往生を遂げるには佛に帰依し、南無阿弥と称名するしかないのだ」と語った。
 そうか、親鸞によれば吾輩も悪犬ということになる。地獄に落とされ、またまた男あるじのようないけ好かない奴にいじめられるのは御免被りたいので、せいぜい『ワンワン陀仏』と唱えることにした。
「なになに『ワンワン陀仏』だと、犬の世界の佛に帰依したいのか。やっぱり歳を取ると佛心がつくようだな。輪廻転生ということを知っているか。輪廻とは動物などに生まれ変わることをいい、転生は再度人間に生まれることをいう。よくいうだろう、あの人はお祖父さんにそっくりだろう。きっとお祖父さんのの生まれ変わりだよ。おまえの場合には、また、犬に生まれ変われるとよいな。今度は雑種ではなく血統書つきの純血種になるかもしれんぞ」と男あるじはご託を並べた。
 吾輩も生まれ変われるとしたら、今度も犬がよいなと思う。もし人間何ぞに生まれ変わったら、学校に行かせられるし、受験競争に駆り立てられるし、就職活動とかなんとか、気の休まる時がない。日々是好日をモットーに昼寝や散歩を楽しむなんてできやしないだろう。そのうちに吾が犬たちが世界を征服し、犬の惑星としてこの地球に君臨するかも知れないな。まてよ、そうなると人間の二の舞だ。

「春を呼ぶ紅梅一輪ほころびぬ」 敬鬼

徒然随想

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