徒然随想

-騙しのテクニック−
  朝から、この家の男主人はぶつくさぶつくさ言いながら、狭い庭を歩き回っている。吾輩は、午睡を楽しもうと草地に上に長々と寝そべっているのに迷惑なことだ。聞くともなく聞いていると、
「人間は、古代から他の人を騙してきたといえるな。例えば、あの有名なトロイの木馬も壮大な騙しだな」
吾輩は、
「トロイの木馬っていえば、ネットワーク上で侵入する有名な悪意ある不正ソフトのことですか」と尋ねると、
「うーん、時代は動いているな。たしかに、お前の言うように、今どきトロイの木馬といえば、そのことだな。トロイの木馬は、有用なソフトであるように利用者を偽ってコンピュータ内部へ侵入し、実行されると、外部からの不正な侵入経路を開くなど、悪さをするものを言う」と応える。  吾輩も、そこで、どうしてトロイの木馬なんて名付けられたのでしょうか」とさらに尋ねると、
「それはだな、あたかも有用なソフトであるかのように欺いて、相手のコンピュータに侵入し悪さを働くことから呼ばれるようになったんだな」
「へぇー、そうですか。ところで、本物のトロイの木馬というのはどんな騙しのテクニックだったんですか」と聞くと、
「それは古代ギリシャ時代に遡る。古代ギリシャの有名な詩人ホメロスの叙事詩イリアス、そしてオデュッセイアに出てくるんだよ。
  古代ギリシャ軍とトロイ軍の戦いは10年にもおよぶ戦争を続けながらも決着を見ることができなかった。ギリシャ軍は船でトロイの都市国家を包囲し攻撃するが、トロイを囲む城壁に阻まれ陥落させることができない。ギリシャ軍の人々も長年の戦争に疲れ、何とかして戦況の打開を図り、勝利しギリシャの王女ヘレンを取り戻そうと一計を策したんだな。
 それは、巨大な木馬を作り、その中にオデュッセウスをはじめ勇士が隠れて、城内に侵入しようというわけだ。そのためにはトロイの人々を騙かさなければならない」
 吾輩は、古代ギリシャの時代の話にしだいに引き込まれていった。男あるじは、話を続けて、
「まず、ギリシャ軍の兵士達はあたかも戦争を放棄し、ギリシャへ戻るように見せかけて、一斉に船出し逃だすようにみせかける。トロイ軍は浜辺に残された木馬を見つけ不思議に思ってみていると、捉えられた一人のギリシャ兵士が、ギリシャ軍は戦いを諦め帰郷することを決めたこと、自分を置き去りにしたこと、そしてこの木馬は女神アテナに献上するためにギリシャ軍が作ったけれども持ち帰ることができなくて置いていったものだと語る」
  なるほどと吾輩は、ギリシャの悪知恵に感嘆した。
「トロイ軍も女神アテナに献上するものであれば大切に扱わなければいけないと思い、その大きく重い木馬を引きずって城壁のなかに引き入れ、トロイ市内にあるアテナ神殿に献上した。まんまと、トロイの将軍、兵士たちはだまされた。これがうまくいったのは、トロイの人々も戦争に倦み、早く終わらせたかったからだな。
  こうして、トロイ軍は長く辛い戦争から解放され、国を守り抜いたという喜びで勝利の祝宴をあげ、酒に酔いしれて眠り込んでしまう。
 頃を見計らって木馬の中に隠れていた勇士たちが現れ、城門を開け戻ってきたギリシャ軍を呼び入れ、トロイの兵士たちを皆殺しにし、都市を焼き尽くし、女性や子供を奴隷にしてしまったんだね」
  これを聞いて、吾輩は、
「何て汚い手をつかったんだと憤慨した」が、でも後の祭りなんだろうな。騙された方が愚かと言うしかないのだろうと考えた。
「そうか、人間族は、他の民族、都市を滅ぼすためには悪知恵を働かしてきたんだな。いったい、正義はどこにあるんだろう、勝てさえすれば何をしても良いのか」と案じた。そういえば、孫子は、
「兵は詭道(きどう)なり」といい、戦争での心理的駆け引きを重視していたっけ。でも、騙して勝つなんて、釈然としないなぁー。