このところ暑い日々が続いている。気温が25度を超える夏日も3日ほど続いたし、30度を超える真夏日も1日あった。梅雨入り前なのにこれでは梅雨明けの暑さが思いやられる。老犬である身には寒さも辛いが暑さもけっこうこたえる。これで盛夏になってしまえばエアコンの効いた部屋に入れるのに、いまは省エネとかで男あるじも女あるじもエアコンをかけるのを我慢している。仕方がないので西風の通る縁の下で腹ばいになって時ならぬ6月初旬の暑さを凌いでいると、男あるじが庭に出てきた。そして、
「こう暑くてはやりきれんな。おまえは毛皮を脱げないのでひといちばい暑いことだろう。でも、この程度の暑さはいかに歳老いたと言っても耐えてしかるべしだ。もうすぐに日が落ちるので幾分かは涼しい風が吹いてくるから、まあそれまでの辛抱だな」とのたもうた。
 吾輩は、男あるじの言いぐさを聞いているとますます暑くなるので、顔も上げずに知らん顔を決め込んだら、
「なになに、せっかく老体を心配しているのに、その態度はないだろう」と蹴飛ばしそうになったので難を避けるべく、縁の下の奥へと引っ込んだ。男あるじは、
「まあ暑いからな。おまえも大変だ。でも仕方がないな、イヌに生まれたのだからな。この定めは甘受しなければな。そうそう、こんな詩もあったたな。『私が蝿に生まれる可能性もあった筈 私の親が蝿であれば私も蝿だった ・・・・生まれの配属先が人だったり蝿だったり三味線草だったり・・人という辞令をもらった私は見ている・・・』。これは長田弘さんの『日向で』という詩の一節だ。これによれば、おまえは生まれの配属先がイヌで私はヒトだったということになる」とつぶやきだした。
 吾輩は、何おかいわんやとフィーンフィーンと鼻を鳴らした。そんなことはとっくに分かっている。吾輩もヒトに生まれたかった。そうすれば気にくわないからといっていつも蹴飛ばすことができるからな。でもイヌに生まれたので、このさだめは甘受するしかないな。踏みつぶされる蟻やダンゴムシではなかったことに感謝しなければな。それにしても、誰が配属先を決めているのかな。男あるじは、吾輩の問いに対して、「うーん。それは誰も知らないしわからない。多分、最初の配属が継続されるのだろうよ。イヌに配属されればその子も、その子の子もイヌに、サルに配属されれればその子もサルに。どこに最初に配属するかは、いちいち個別に審判なんかするのでではなく、多分まったくの当てずっぽうで決められたんだろうね。すべて偶然というか気まぐれによって創造主によって決められ、おまえと私のような巡り合わせになったんだな」と答えた。
 吾輩は、なんと反論して良いかわからずに、しょうがないから一声ワンと吠えてやった。それにしても、動物に生まれるならばやっぱりなんといってもヒトがよかったなと思う。なにせ、忠実なしもべであるわが輩たちイヌに大きな顔をできる。逆にあてがい扶持でかろうじて生きていけるわが輩たちイヌはご無理ごもっともと吾があるじに従わなければならない。いっそのこと、植物に配属された方がましかもしれない。路傍のどくだみは、毎年この梅雨の季節になるときまって可憐な白い花を咲かせる。何もしゃべらないし、ときには踏まれたり、おしっこをかけられたりするが、孤高をたもっている。またときには子どもたちに、かわいい花とつまれて家の花瓶に挿されたりする。でも、好きとか嫌いとか、香しいとかうまいとかの感情がないのは寂しいことだな。はてさて、どこに配属されるのがいいのだろうか。人間の世界も、いじめ、リストラ、過度の競争など大変らしいしな。ましてや戦争なんかになったら大変だ。

「どくだみや年々歳々白十字」 敬鬼

- どくだみ

徒然随想