夕方、男あるじにつきあってバーチャルな姿に変じた吾輩が、つまり幽霊犬なのだが、散歩をしていると、近所の家の庭にある紅梅が満開となり、良い匂いがしてくる。桜は匂わないが、梅はそこはかとなく匂うようだ。『こちふかばにほひをこせよ梅のはな あるじなしとて春なわすれそ』の和歌は、太宰府に左遷された菅原道真が京の都を偲ん詠んだとされている。それではどういう匂いときかれても、例えようがない香りのようだ。吾輩はすでに黄泉国にいるので、匂いを感じることはないから答えようがない。ここは、地下の国で死者が死後生活するところのようだ。古事記にあるように、闇の世界で人も動物も生前とは異なる変わり果てた姿でうろついたり、うずくまったりしている。吾輩は、死後の世界では生前と同じように活力を取り戻し、走り回れるとばかり想像していたが、こればかりは当てがはずれてしまった。ただ、男あるじのような吾輩を縛り付ける存在がいないので気楽に過ごせる。これだけが黄泉国の良いところだな。みんな平等で自由だ。ここで49日過ごすと、閻魔大王の審判を受けて極楽にいけるらしい。 男あるじは、さっそく、
「それは甘い考えだ。これから行くところは、お馴染みの地獄八景亡者の戯れという有名な落語に寄れば、まず、三途の川渡り、賽の河原、六道の辻を経て閻魔庁に至るのだそうだ。そこでは生前の行いを閻魔大王が裁定し、極楽行きか、地獄行きが決まる」と歩きながら話し出した。
 バーチャルな吾輩は、それを聞いて安堵した。というのも、吾輩の生前は、良き飼い犬として忠実にこの男あるじや女あるじ、そして娘あるじに仕えてきたからだ。もちろん、吾輩も聖人君子ではないから、大事な置物を落として壊したり、床におしっこをふりまいたり、あるいは犬小屋に入ることを拒否して網戸を壊したりはしたが、しかし吾輩が旅立つときに女あるじや娘あるじの悲嘆を閻魔が正当に評価すれば、極楽に行けることはま違いない。
 すると、男あるじは、
「なんでも地獄の閻魔様まで行って、手違いでこの世に返された人の話によると、閻魔様の前で懺悔をしなければならないのだそうだぞ。このとき、嘘をついたりごまかしたりすると、針の山、血の海、鬼に食われるなどのお仕置きがあるのだ。真っ正直に、善行と悪行を洗いざら懺悔することは意外と難しい。もし閻魔様のノート、つまり閻魔帳に書かれていることと少しでも違っていると、もうアウトだな。果てしなくつらい地獄巡りを課され、極楽は天上の彼方に霞んでしまう。運良く蜘蛛の糸が垂れてきても、皆がそれにすがろうとするので、直ぐに切れてしまい天上に昇ることなんてできないのだというぞ」とつぶやいた。
 バーチャルな吾輩は、後ろから噛みついてやろうと思ったが、これも閻魔帳に記入されるかと思って断念した。きっと、男あるじも閻魔様の審判を受け、吾輩に辛く当たったことだけでも地獄行きは必死だ。もっとも善行と悪行は相殺され、全体としてプラスになれば、地獄行きは免れるらしいが、男あるじに限ってはそれは無理だろう、とバーチャルな吾輩は男あるじの顔を見上げて憐れんだ。早いか遅いかの違いだけで、誰もが審判を受けるのだ。男あるじの場合はもう遅いかもしれないな。

「春霞山脈遠く野辺近し」 敬具

 

徒然随想

閻魔