徒然随想

-不満と我慢−
  立春も過ぎたがしかし寒い夜、
「お母さん、来て来て、クウちゃん、また、靴を抱え込んでいる」と娘が、玄関の中につながれた犬を見て騒ぐ。
「きっと、散歩が足らなく、不満なんだね」と、この家の女主人が応じる。
  これを聞きつけたこの家の男主人が、
「どうして靴を抱え込むことが不満の意思表示だと分かるのだ」と尋ねる。
「だって、見ていてご覧、その内に靴の紐をくわえて振り回し、廊下に投げ飛ばすから」
  しばらくすると、ドサッと音がするので、確かめに行くと、廊下に靴の片方が投げ上げられている。どうも、遊びでやっているのではないらしい。犬のこころにそって話してみると、こんなふうになろうか。「誰も吾輩の相手をしてくれない。一日中で一番楽しい散歩が、時間は短いし、匂いコミュニケーションも少ないし、不満だらけだ。おまけに、食事は、好物のものが無かったし、吾輩の相手をしないで、テレビのオーストラリアンオープンテニスとかに夢中だし、もうがまんできない」   
  吾輩も大人げないことは分かっているが、我慢の限界というものがある。この家の者も、こんなところがあるようだ。不満があれば、言葉で伝えればよいのに、意外な行動に出て相手を困らせようとする。例えば、行き先を告げずに外出し、なかなか帰らない、不要なものを買い込む、家事をサボる、といったたぐいであろう。
  この家の女主人が、ストライキを起こすと大変だ。まず、いつまでも寝ていて起きてこない。家族の朝食が用意されない。もちろん、吾輩の食事は特別扱いであるが。こんなときの男主人の様といったら見ていられない。うろうろ、いらいら、そしていっそうぶつぶつが多くなる。自分で食事くらい用意すればよいのにと吾輩は思うのだが、日頃やりなれないと思いもつかないようだ。
  人間どもも、こんなことをしても馬鹿げていることは百も承知だが、腹の虫が治まらないのだ。人間も吾輩のような動物も、馬鹿げた行動をとることでこころの浄化をしている。つまり、子どもで言えば、「むかついて、キレル」のだろう。
  馬鹿げた行動をとると、それでも、身体的、心理的、金銭的浪費をする。つまり、ある程度、心身のエネルギーを費やす。子どもが、わめいて暴れるのも同じで、一時、心身のエネルギーを消費する。これが、カタルシス、つまり心の浄化作用となる。まあ、心にたまったガスを抜いているのだと吾輩は推しはかる。
  人間どもは、心のガス、言い換えればストレスが貯まらないように、上手に発散する。カラオケ、飲み会、ゲーム、賭け事、スポーツなど、このために役立っているようだ。もし、このような仕掛けがないと考えると、吾輩は恐ろしい。きっと、こころのガスが貯まるたびにけっとばされるに違いない。
  ところで、吾輩のこころのガス抜きはどうしてくれるのだ!本当に、外は寒いし、内は冷たいしどうしてくれるのだ!

 「言い分のある面つきやひきがえる」 (一茶)