初夏の装いだ。風の匂いでわかる。春は芳しい匂いが、初夏には木々の葉っぱの匂いが運ばれてくる。葉っぱが盛んに陽を浴び、酸素や葉の匂いを放出するからだろうか。吾輩も陽射しを避けて縁の下の潜り込み、午睡から目覚めて、風の匂いを嗅ぐべく鼻をひくひくさせていたら、男あるじが散歩のために庭に出てきた。
「さあ暑くなってきたが、元気に午後の散歩に出かけるぞ。今の季節はさつきが咲き、牡丹が大振りの花を付け、バラも香りを振りまき、それはそれは趣がある」とのたもうた。 吾輩にはバラの香りは感じるが、牡丹の花は色も見えないので興味がない。それを察した男あるじは、
「美人は『立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花』と喩えられるように、まあいずれもいま咲きほこるこれらは華やかな花だ。かの唐の時代の玄宗皇帝が愛した楊貴妃は、芙蓉に喩えられたそうだ。女性の美しさは、しばしば花に託して讃えられる。白楽天も長恨歌を叙して楊貴妃の栄華と末路を歌った。玄宗皇帝は女に溺れ国を傾けたので、このような女性は傾国の美人あるいは傾城の美人といわれる」と話を続けた。
 やれやれ、いつになったら散歩に出かけるのかと眼で問うと、男あるじは、
「長恨歌は最後フレーズで『天にあっては願わくは比翼の鳥となり、地にあっては願わくは連理の枝となりましょう』と結ぶ。これは皇帝と楊貴妃の愛の誓いとして有名となった。比翼の鳥というのは翼を共有する2体の鳥であり、連理の枝というのは枝を共有する2本の樹木をいう。」
 そこへ、庭に散水するために女あるじが出てきて、男あるじの話を聞き、
「なつかしいわ。確か高校の漢文で長恨歌を習ったわ。楊貴妃は安禄山による反乱を招いて国を危うくした悪女と言われているでしょう。しかしこの長恨歌には一人の女が一人の男を慕い、命を賭けて愛したことが悲しくもロマンチックに物語られていたわ。比翼の鳥、連理の枝の誓いには感動したものだったわ」と口を挟んだ。男あるじも、
「そういえば、古代中国のもうひとりの傾国美女を詠んだ俳句がある。『象潟や雨に西施がねぶの花』。これは奥の細道に出てくる芭蕉の俳句だ。秋田の象潟を訪ねたときに詠んだもので、ここに出てくる象潟は、かつて海の中に松が生い茂る小島が所々にある景勝の地だった。俳句の後段にある『西施がねぶの花』とはわかりにくい表現だが、この西施は春秋時代(紀元前6世紀頃)の越王国の美女の名前である。名にし負う象潟についてみると、雨が降っていて、西施のようなたおやかに美しいねぶの花が雨に濡れて咲いているという意味だな。西施は政略に使われた美しいが幸薄い美女である。時の越王の勾践が、敵国の呉王の夫差に西施を献上した。西施は貧しい薪売りの娘だったがその美しい姿を見いだされ、呉王に送り込まれた。夫差は美しい西施に夢中になり、政治を疎かにして国は弱体化させ、ついに越に滅ぼされてしまう。西施は呉が滅んだ後、その美貌を恐れた越王の勾践の夫人の手によって革袋に入れられて河に鎮められたそうだ。美貌をもって生まれた故に政治に翻弄された悲劇の女性として語り継がれている」と結んだ。そして、「さて、話はこれくらいにして散歩に出かけるとするか。そろそろ、牡丹も散りかける頃だな。そういえば、『牡丹散ってうち重なりぬ二三片』という与謝蕪村の俳句があったな。牡丹は花びらが厚いので、散り敷いても華やかなものだ。牡丹に喩えられるような美人は、散っても惜しまれるということか」と結んだ。
 吾輩たちイヌはどんな花にたとえられるのだろうか。まさかイヌフグリではあるまいな。もっとも、これは名とは異なり可憐な花なので異論はない。

「夏の宵気位高く座る牡丹」 敬鬼

徒然随想

- 芙蓉、牡丹、芍薬