今朝は一段と冷え込んだ。庭に出てみると、まわりは静かに寝静まっている。わが輩は、いつものように男あるじに連れられて朝の散歩を終えて縁の下の庵に落ち着いた。男あるじは、「今朝は元旦だ。つまり年があらたまった最初の日だ。そろそろ、陽が射してくるが、これは初日の出という。もともと初日の出を元旦といい、それが転じて元日をさすようになった」と年明け早々から、蘊蓄を傾けだした。わが輩にはいつもの日の出とかわらないが、人間には初日の出はありがたいものらしい」
「その通り。人間は古代エジプトの時代から太陽を神、太陽神として崇めた。太陽はすべての自然の恵みの源だということは古代人も認識していた。もし、太陽が隠れてしまえば、すべての自然の実りは失われてしまう。穀物がなければ動物もいなくなり、それらを食して命を繋ぐ人間もいなくなってしまう。これは恐ろしいことだ。古事記にも太陽神になぞらえられる天照大神がスサノオノ命の乱暴に手を焼き天の岩戸に隠れてしまう逸話が載っている。太陽が隠れてしまったのでこれには皆困った。そこで、神様達が知恵を出し合い、ある女の神に岩戸の前で胸をさらけだし、衣を腰下まで下ろして踊り、皆がはやしたてることにした。天照大神がその騒ぎを怪しんで岩戸を少し開けた。そこを脇に隠れていたタジカラオノ命が岩戸を力一杯放り上げ投げ捨てたんだな。そして、陽が戻ったということだ。めでたしめでたし。因みに、その岩戸ははるばると飛んで長野の戸隠にある戸隠神社に落下したそうだぞ」
  わが輩は、男あるじの話を黙って拝聴した。お日様が隠れたら、人間ばかりでなくわれわれイヌ族だって生きてはいられない。なにせ、お日様が照ってくれないことには寒くてやりきれないし、十分に食することもできないので痩せて凍死するのが落ちだ。太陽を神として拝めば、陽の光を恵んで下さるのならば、なんぼでも柏手を打ちますよ。こんなことを思っていると、男あるじは、続けて、
「もっとも、太陽にも寿命がある」と恐ろしいことを話し出した。そして、
「太陽の寿命はだいたいあと50億年だそうだ。どうしてそんなことが分かるのかというと、太陽が輝くしくみは核融合反応による。つまりだ、水素原始4個を核融合させ、ヘリウム原子1個を生み出す。このときに発生する熱が太陽の熱源となる。太陽は質量の7割が水素、2.5割がヘリウムのガス球だ。水素原子4個が燃えてヘリウム1個になると、ヘリウムは水素4個より0.7%ほど軽いので、いつかは燃え尽きることになる」と締めくくった。
  わが輩は、はじめて聞く話なので興味をもつとともに、太陽が燃え尽きるとどうなるのか、さらにその先を知りたくなった。そこで、首を回し、眼で合図すると、男あるじは乗り気になって蘊蓄をさらに傾けた。
「太陽のような恒星が燃え尽きるとどうなるか。それは赤く大きくしだいに膨張する。そしてその大きさは火星を飲み込んでしまうまでになる。これは赤色巨星とよばれる。地球は太陽の膨張で飲み込まれてしまう運命にあると言うことだ。もっとも、50億年後だがな」
  わが輩は感受性が高いのか、この話に驚き、息を飲み込んだ。冷静に考えれば50億年というのは、生命にとって無限というのに等しい長さだ。それでも、わが生きるこの大地がやがては消滅するとは何たる衝撃的なことなのだろうか。もっとも、こんな事で落ち込んでいたのでは、これからの日々が楽しくなく無常観に支配されてしまう。わがモットーである日々是好日を明日から、いやこの元旦から実践しよう。

「初日の出 託す望みの 慎ましき」

徒然随想

-元旦