夕方の散歩には良い季節の中秋になった。わが輩たちイヌは暑さに弱い。あの熱せられたアスファルトの上を長時間歩かされるとまいってしまう。体温が限度を超えてあがり、舌を垂らし呼吸を速くしてもさますことはできなくなる。でも、この季節は体温も正常で疲れることはないので、男あるじの前を、いや男あるじを引っ張って歩くことができる。そろそろ散歩のために、男あるじのお出ましかと気配を伺っていたら、男あるじと女あるじとが揃って庭に出てきた。そして、女あるじがなにやら男あるじに尋ねている。ガリウムがどうとかこうとか。男あるじは、散歩用のリードにつなぎ変えながら、「あのノーベル賞をもらった研究のガリウムのことか。ガリウムというのは元素のひとつだな。よく知っている物質でいえば、アルミニウムなどと同じ仲間の元素だ。青みがかった金属光沢がある金属だが、30度くらいの低い温度で溶けてしまう性質がある」と解説し、なかなか歩き出さない。そこで吾輩は「フィーンフィーン、ワン」と催促したら、女あるじが歩き出し、それにつれて男あるじと吾輩も歩を進めた。歩きながら、女あるじは、それでは窒化ガリウムとは何なのと話し出した。男あるじは、
「それはガリウムを窒化したものだ。窒化というのはガリウムに窒素をしみこませたものをいう。たとえば、鉄を窒化すると鉄の表面が硬くなる。窒化ガリウムも安定した金属となり、酸やアルカリに強くなる」と答えた。
 吾輩は、ガリウムなんてなにやら恐ろしげな物質ではないかと感じていたが、なんのことはないアルミニウムによく似たものらしいことがわかって安心した。それにしても、こんな物質が青い光を出すものの原料だなんて不可思議なことだ。しかも、それを発明したのが日本人で、ノーベル賞まで授与されたという。吾輩は、アルミニウムのようなものがどうして電気を通すと光るのですかと訝しむと、男あるじは、
「窒化ガリウムが光を出すわけではない。窒化ガリウムから半導体に使えるような青色の結晶を合成できたからだな。LEDは半導体なのだ。半導体というのはプラスとマイナスにあたる2種類の半導体を組み合わせると、電流を整流したり光電を起こさせたりする電子部品になる」と解説したが、説明している本人も詳しくは知らないようでなにやらあやふやな感じだった。
 吾輩は、科学や工学が自然界には存在しない便利なものをつくりだすことに驚嘆した。吾輩イヌ族にはとうてい知り得ない科学的知見にもとづくものらしい。この世のすべての物質が元素からできていて、しかもその元素は原子とか言うもっと小さな物質から構成されているという。こんな吾輩の疑問を引き取って男あるじは、
「生きとし生きるものはタンパク質、核酸、糖分から構成されている。これらは主には炭素や水素、窒素、酸素、カルシウム、リンと硫黄からつくられる。人間もイヌもこれは同じだ。これは原子のレベルでの話だな。これらから細胞が作られ、それらからさらに内蔵、筋肉、骨、脳などの器官がつくられていることになるな」と歩きながら話を続けた。
 吾輩は、男あるじも吾輩も同じ原子から作られていることに快感を覚えた。なんということはない。えらそうに振る舞っている男あるじも、一皮むけば同じ仲間だという。愉快愉快。これまでの鬱憤が晴れそうだ。

「西陽浴び枝の先なる柿照れり」 敬鬼

- ガリウム-

徒然随想